無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10421日

 あと10421日となり、一日たりとも無駄にできない大事な時間がどんどん過ぎていく。毎晩寝るときに、今日一日満足できたかと自問しても、自信をもってイエスと答えるほどの楽天家でもない。最近はだんだんと寝るのが遅くなってきているので、その事も気持ちに影響を及ぼしているように思う。考えるのは11時までにして、さっさと寝るようにしないといかんな。深夜になるとマイナス思考が強くなり、どうしてもそちらのほうに引きずられてしまう。

 今は手紙を書くことも無くなったが、昔はよく女の子と文通なんかをしたもんだ。たいてい4~5回も往復すると書くこともなくなり、どちらからともなく消滅していくんだが、そうでない場合もある。佳境に入ってくると所謂ラブレターに近いものになり、一旦書き始めると深夜に及ぶようになる。そして、この深夜の手紙というのが曲者で、たいていは、翌日読むと恥ずかしくて出せないような内容になっていることが多かった。まあ、少なくとも、わしはそうだった。便せんにペンで一字一字、考えながら書くという行為は、メールやSNSなんかと違って、生々しかったのかな。

 わしは、30代の頃にキヤノンワープロを買ってから、手書きで文章を作成するということはしなくなった。その後はマックワードになり、これでカット&ペーストを覚えると、画面上でなければ文章がまとまらなくなってしまった。昨日の地図の読解力と同じで、文章を頭の中で練りあげていく力というのも、使わなければ確実に衰えていくことだろう。その点、女房はほとんどパソコンを使わないので、未だに辞書を使って、ボールペンで手紙を書いているから大したものだ。お中元やお歳暮の礼状なんかもさっさと書いてくれるので、わしにとっては重宝な人で助かっている。

 しかしこんなことを、人にいつまでも頼っていてはいかんと考えて、昨日ケーズデンキにプリンターを注文しといた。時間があるんだから、わしが手書きの練習をすればいいのかもしれんが、時すでに遅し、衰えた能力は回復不可能ということで、文明の利器にすがることにした。とはいえ、今時プリンターのない家も珍しいだろうが、2年前までは、少々なら勤務先のプリンターを使うことができたので、家には必要なかったということだ。

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これさえあれば、手紙でも礼状でもどんとこい、ということになればいいんだが。

あと10422日

 昨日行ったイオンモールにもペットショップがあって、多くの人でにぎわっていたが、わしはどうもペットショップは苦手だ。あの犬や猫は飼い手が見つからなければ最後は殺されるんだろう。犬猫は知らない間に、命をかけてあの狭いケージの中で暮らしているともいえる。そんな過酷な未来が待っているとも知らずに、すやすや寝ているのを見ると、なんか哀れになってきて、見ていられなくなる。

 昨日の店は、ケージの中の犬や猫もきれいだったからまだよかったが、ホームセンターや場末のペットショップでは、あまり手入れされてないところもある。花子はまさにそんな店で売られていた。抱かせてもらったら物凄く臭かったし、態度もおどおどして、人を信用していないような感じがした。あまりいい環境ではなかったんだろう。血統書付ではあったが、スタイルはよくないし、わしら買わなかったら生きていけないような気がした。

 近所のホームセンターにドッグフードを買いにいくと、どうしてもケージの前を通るのでついつい見てしまう。そんなある日、成長してかなり大きくなったミニチュアダックスが売られているのに気が付いた。ここまで大きくなるともう売れないだろうなと思って、気になって店に行く度にその犬を見に行くようになった。しかし、数か月後に突然居なくなった。おそらく生きてはいないだろう。飼えるものなら飼ってやりたいとは思っても、一旦飼い始めると、十数年責任が生じることを考えると、そういうわけにもいかない。空っぽになったケージを見てなんとも言えない気持ちになったな。

 しかし反面、きれいごとを言うんじゃないよと笑って自分もいる。こういう感情を持つこと自体、わしのエゴであり、傲慢だとも言える。今晩の親子どんぶりにも、人が殺したにわとりの肉が入っているのに、おいしいと言って何の感傷もなく食べている。以前テレビの番組で、肥育農家の人を紹介していた。その人が牛はほんとにかわいいと言うので、レポーターが、でも殺して食べるんでしょうと聞くと、その人が、それは商売だから仕方がないと真顔で言ったのが印象的だった。そこには当然何の感傷もない。人に食べられるために育てられているのだから、殺されて肉になって人の役に立つのは当たり前のことだという厳然たる事実があるだけだ。

 そこがペットと家畜の違いだといえばそれまでだが、一方でケージからいなくなった犬を心配し、また一方ではおいしいと言ってにわとりの肉を平気で食べるている。結局わしらは自分に役に立つように、自分の中にある感情をうまく使い分けて、心の平衡を保っているだけではないのだろうか。

あと10423日

 朝食後、女房が突然隣の市にできたイオンモールに行ってみたいと言い出した。うちから車で1時間ちょっとかかる、忖度とかなんとか馬鹿なことを言って、最近国会あたりでちょっと有名になったあの町だ。わしはイオンなんかは全く信用してないので、近所にあるイオンにも行ってないし、マルナカイオングループに入ってからは行ったことがない。ただし、女房はマルナカを時々利用している。

 わしの車のは8年目になるので、今回のように新しくできた施設へ行くときは、ナビは全くあてにならない。通常、初めてのところに行く時は、ストリートビューで確認するようにしてるんだが、今回のように急に思い立って、さあ出かけようと言われると、その時間もなかった。マップで一応確認はしたが、女房は運転しないので、自分のスマホでナビ位は見るだろうと思って油断していた。これが大きな間違いだった。

 途中の国道は海岸線を走っていて、遠くに連なる島影、青い海、白い砂浜が続いている。わしらは見慣れた光景だが、多島海を知らない人たちにとっては珍しい光景だろう。日没時になると、島影に沈みゆく夕陽に空や海が朱に染まり、沖を通る大小の貨物船やタンカーがシルエットなり浮かび上がってくる。これは是非見に来ていただきたい。

 連合艦隊健在なりし頃は、柱島泊地へ向かう艦隊はこの沖を通り、途中N島で進路を右にとりN島宇和間沖で左に回頭していたらしい。宇垣中将の戦藻録にも書いてあったし、N島宇和間出身の女房の叔父さんも、すぐ沖を通る戦艦大和を見たと言っていたから間違いないだろう。

 まあ、それはいいんだが、いよいよイオンモールが近づいてきたので、女房にどこの角を曲がるのか教えてくれというと、驚いたことにマップは使ったことがないのでわからないと言い出した。そんなこと今更言うなよなと、ぶつぶつ言いながらしばらく走っていると、突然、イオンの看板が見えたと左方向を指さした。そこは違うだろうと言いながらも、一応左折してそこへ行ってみると、案の定イオンモールではなく、単なるスーパーのイオンだった。こんな街の真ん中にイオンモールがあるわけないだろう。

 結局自分のスマホのナビを使って何とか到着できたが、ナビがなかったら、こんな簡単な目的地にも行けないという現実には驚いた。7年前に今の車に変える前までは、1人で地図を見ながらどこへでも行っていたんだが、歳のせいか、或いはナビに慣れすぎたのか、それができなくなっていた。わしは若い頃から地図には自信があって、一度見たらかなり詳しく頭に入っていたので、途中で何回も見直すということは無かった。やはり、歳とともに、使わない能力は容赦なく落ちていくということだろう。これはちょっとショックだったな。

あと10424日

 毎日家にいると、人と会うことがないので、余所行きの顔をする必要がない。その点は気が楽だろうと思っていた。実際、この一週間で、女房以外と話したのは、近所にできた「ほねつぎ」という整骨院のチラシを持ってきた、院長ぐらいだ。断っても毎週金曜日にチラシを持って来ていたヤクルトおばさんも、女房が、どうせ買わないんだから出なくていいというので、玄関のベルが鳴っても、耳なし芳一状態でやり過ごした。おばさんたちの話も、面白かったんだけどな。

 それで気が楽になったかというと、そんなことはない。常に自分だけを見ていることによって、かえって自分から離れられない分、様々な心の揺れは消えることなく、それぞれが干渉して増幅しあっているんじゃないかと思うくらいだ。この状態がそれほど楽しいとも思わないし、それどころか以前楽しいと感じていたのはどういう時だったのか、そんなことも思い出せなくなった。

 旅行に行くとか、映画を見に行くとかいろいろやることはあるだろうと思われるが、今一つ気が乗らない。旅行も行ったら行ったで面白いんだが、それだけなんだな。当初目的としていた神社は、4年かけて青春18きっぷであらかた回ってしまったし、これ以上は旅することが目的となって、単なる気晴らしになってしまうような気がする。映画なんてものも東京にいた頃は、仕事帰りに文芸座とか文芸地下とかよく行ったが、結婚してからはあまり行かなくなった。映画だけのために、2時間も時間をかけることが贅沢に感じるようになったからかな。

 日常生活によってもたらされる事全てを認めて、生きているだけで楽しいと思えれば最高なんだろうが、そんな生活をしている人が、本当にこの世に存在しているのだろうか。もちろんそんな感じも全く無いことはないが、あったとしても、ほんの一瞬のことで、あっというまに通り過ぎてしまう。その部分だけ取り出して、無理やり拡大したら、それらしい本の一冊でも書けるのかもしれんが、そんな薄っぺらい本には何の意味もない。それなら、そんな一瞬のよろこびを求めるよりも、いっそのこと、様々なことに思い切りとらわれて、心がいつもぐらぐら揺れているのが人間なんだと、ありのままに認めるほうが、楽になるのではないかと考える時もある。 

  結局いくら考えても何の結論もでないことを、毎日毎日考えながら日を送るという単調さには、多くの人は耐えられないだろう。わしも辟易することはあるが、わし自身の思考過程を客観的に眺めることができるというのも、引きこもり生活の醍醐味だともいえる。いつかは結論がでるんだろう。今日桐生選手は100mを9秒98で走ったが、わしの死への助走路はそんなに早く走りたくはない。休んだり振り返ったりしながら、ゆっくり歩かせて欲しいものだ。

あと10425日

 人生やり直しがきかないとはいうけれども、やり直せることも結構多い。成長して自分で何でも選択できるようになれば、就職転職、結婚離婚、趣味や付き合いなどを通して、いろいろな環境を得ることもできる。しかし人生がスタートした頃、親は子供を選べないし子供も親を選べない。その後の十数年は親の影響下にあり、この大切な人間形成の時代はやり直せない。まさに出産子育て期間というのは、親子にとって最も楽しい時でもあり、また困難な時でもあると言えるだろう。

 子供らが小学生の頃、学校の雑誌に、子育てほど楽しいものはないと書いていた、天真爛漫なお母さんがいたが、わしはそれを読んで、そんなに楽しいか?とにわかには信じられなかった。この人も、子供がまだ小学生で、中学高校にあがってもそう言えたかどうか、聞いてみたい気もする。うちは、長女長男は二人ともいつの間にか大きくなっていた。わしが本当に親としての本気度というのか、親としての覚悟を求められたのは二男の時だった。

 わしは上の二人で人生をなめていたのかもしれない。本気で二男の困惑、悩み、怒りと対峙したとき、どうしたらいいのかわからなかった。その時になって初めて、いつまでも子供ではないということに気が付いた。因果応報ということかもしれんが、わしもよく親とは衝突していたから、子供のいらだちはわかるが、親としてそれに向き合うのは初めてだった。子供も正念場、親も正念場、待ったなしでぶっつけ本番の舞台に上げられたようなもので、何とかしてやらんといかんなと、その頃は夫婦の会話もそのことばかりだった。

 結局夫婦で決めたことは、何があっても辛抱して、とことん話を聞いて、変わるのを待とうということだった。犬の小太郎を飼ったのもその頃だった。小太郎という名前も二男がつけて可愛がっていた。ただ良かったことは、二男も家が好きで、家には必ず帰ってきていたことだった。こんな、子供らが帰りたくなる家庭を築いたのは主に女房の功績で、これには感謝している。

 いつも一緒にいる友達が5~6人いるらしいが、それがどんな子なのかが一番気がかりだったので、遊ぶんならうちで遊べと言って連れてこさせた。どんな子らが来るのかと思っていたら、みんな礼儀正しい、いい子なんでびっくりした。中には母子家庭の子とか、母親が再婚している子とか、つらい環境の子がいて、どうも二男が相談相手になっていたようだった。このような関係がわかってくるともう心配することはなくなった。はじめから言ってくれればいいのにと思ったが、わし初期対応が悪かったと反省もしている。

 わしは二男がいなかったら、親としては半人前で終わったと思う。二男がいたから、子供と向き合い、子供とともに成長できたと感謝している。女房は常々3人の子供の中で二男が一番やさしいと言っているが、わしもそう思う。

あと10426日 素人料理には麵つゆ白だしは必需品

 今週は女房の仕事が終わるのが遅いので、本気で晩御飯の支度をしている。午後から久しぶりに車で外出して、筑前煮に入れる鶏肉の細切れを買うために近所のスーパーに立ち寄った。アイスコーヒー1パック120円で売っていたので、ついでにこれも5パック購入して、途中、明屋書店に寄って30分ほど立ち読みして家に帰った。このスーパーは水の売り場に楽天チェックのポイントがあり、わしは行けばいつも10ポイントもらうんだが、いまだかつて、わし以外にやっている人を見たことがない。まあ、わしも売り場に人がいない時を見計らって、こそっとやっているから、他の人もきっとそうしているんだろう。

 最近は筑前煮を作るといっても、材料は出来上がったものが売られているので簡単だが、あれだけの具材を個別に揃えようと思ったら大変なことだ。具材に鶏肉を加えて鍋でしばらく炒めたのちに、作っておいた、だし汁400ccを加えて20分ほど煮たら出来上がりだ。問題はこのだし汁だが、自分でいうのもなんだが、これはうまくできた。これも、白だしという強い味方があるからで、後はみりん、酒、醤油、砂糖なんかを適当に加えながら水で希釈するとできてしまう。ここらあたりのコツをつかんでしまうと、結構いい味がでてくるもんだ。

 最近は白だしや麺つゆがあるので、簡単にいい味がでるが、昔はそうではなかった。わしらが子供の頃は、親父はそうめんが嫌いでほとんど食べなかったように覚えていたんだが、一緒に住むようになった20年ほど前、そうめんは好物だと言ってよく食べているのに気が付いた。そのことを、一緒に昼にそうめんを食べた時に、聞いたことがあったが、その理由というのを聞いて思わず納得してしまった。

  親父が言うには「そうめんは好きなんだが、とにかく、ばあさんが作った自家製のつゆがひどかった。それでそうめんを食べなかった。しかし最近の麺つゆはうまいのでいくらでも食べれる。」これをおふくろのいる前で言ったもんだから、おふくろは相当機嫌が悪かった。わしも覚えているが、たしかに不味かった。シイタケを入れたり、いろいろ工夫はしていたんだろうが、当時はわしもそうめんが旨いと思ったことは無かったから、これは親父の言う通りだと思った。しかし、あとから女房が、自分ならあんなことを言われたら、もう何も作らんよと言っとったし、今のわしなら、あの時のおふくろの怒りも理解できる。昔はこんな無神経なことを言うじいさんが、どこに家にでもいたんだろうな。

あと10427日

 わしが結婚した頃、おふくろが女房の母親に、「あなたが羨ましい、孫の結婚式にも出られるし、ひ孫も見えるかもしれないけれど、私は年齢的に無理だと思う。」というようなことを言っていたらしい。女房の母親はわしと20歳くらいしか違わないから、わしが結婚した頃は50歳代前半だったはずだ。当時おふくろは63歳だったから、若い人がうらやましく思ったんだろう。

 結局、おふくろが死んだ時、長女が大学3年生だったので、ひ孫どころか、結婚式にも間に合わなかったから、その通りの結果になってしまった。目に入れても痛くないというほどかわいがっていて、花嫁姿が見たいといっていたから、本当に無念だったんだろうと思う。死を受け入れられなかった原因の1つは、そんなところにあったのかもしれない。

 しかし、長女のほうは、おふくろが思うほど深くは考えてなかったようで、最後に病室から電話したとき、結婚資金として100万円残してあるから、ばあちゃんが死んだらそれを後からもらうようにと話したら、その100万という金額に驚いたんだろう、電話から漏れてくる声が、周りにいるわしらにも聞こえるほどの大声で、「えっ、100万! ばあちゃん100万なん!」と言っとったな。

 横で聞いていた兄が、「おいおい、あいつは100万円が一番気になっとるようじゃな。」と笑っていたが、親や祖父母の有り難さは自分が家族を持って初めてわかるもので、おふくろがどんな思いで孫を見ていたかなどということは、あの頃はまだ理解できてなかったんだろう。

 年齢順といえばその通りだが、わしの両親、女房の父親が死んで、最後に残った女房の母親は、わしのおふくろが30年前に話した通り、うちの3人の孫の結婚式にも出ることができたし、ひ孫も5人生まれて、そういう面では幸せだといえる。みんなで撮った写真なんかを見ていると、おふくろも、さぞやこの中に座りたかったんだろうなあと、元気だった頃の姿を思い出すこともある。長生きすることだけが幸せにではないとは言え、もしも元気で長生きできるなら、それに越したことはないんじゃないのかな。