無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10337日

 先週の土曜日に、二男夫婦が離婚に関する話をするために帰って来た。去年の夏にも一度もめ事があったので、危うい感じはしていたが、去年12月に子供が生まれ、今年6月に、家族との時間が持ちたいからということで、転職したばかりだったから、今の時期にその話がでてくるのには正直驚いた。

 離婚したいのは嫁のほうで、一方的に三下り半を突き付けてきたということだ。嫁は自分は悪くない、相手が悪いというような身勝手なことを延々と話していた。聞いているうちに、去年の夏にも同じようなことを話していたのを思い出した。あの時は、これはだめだと思って、幸い子供もいないんだから、今すぐ別れた方がいいと、離婚を勧めたんだが、残念ながらそうはならなかった。

 慎重を優柔不断といい、優しさを弱さといい、決断できない、頼りにならないと、目の前で言われ続けても、黙って聞いている二男が不憫でならなかった。4年務めた一部上場企業を辞めて、転勤のない山の中の小さな会社に転職したのも、家族と一緒に過ごせる時間を持ちたいと思ったからだった。当初は四国の会社に決まっていたのに、それを断って、給料も安い今の会社にしたのは、少しでも実家に近いほうが、嫁も楽だろうという心遣いからだった。わしは将来を賭けて、家族のために大きな決断をした二男は偉いと思っている。

 知り合いも誰もいない、四国からも遠く離れた全く知らない土地に来て、さあ家族でこれから頑張ろうというときに、突然嫁も子供もいなくなってしまう。まさに、2階に上がって梯子を外されたようなものだった。泣きながら女房に電話をしてきた二男の無念の気持ちは察するに余りある。しかしわしも女房も、二男の良さを理解できないのなら、別れたほうがいいと思っている。ただ心配なのは子供のことだけだ。

 長男も心配してやって来たので、久しぶりに家族4人だけで遅くまで語り合った。話しているうちに二男もだいぶ吹っ切れたようだった。幸い時間はあるので、写真とかフットサルとか、また始めてみようかと少し前向きに考えるようになった。正月に2人でスターウォーズを見に行く約束をしているのを聞いていると、子供らが小さかった昔に返ったよう気分になった。

 今回、もし嫁が子供をいらないといった時は、こちらへ連れて帰ってわしら夫婦でみるということまで覚悟していたが、そうはならなかった。女一人でほんとうに子供を育てられるのか甚だ疑問だが、できると言う以上任せるほかは無い。これから先、この子がどんな人生を歩むのか、心配の種は尽きないが、幸せになれとよ、遠くから見守ることしかできない。優しい穏やかな夫と共に、家族3人で暮らすということに何の不満があるのか、それは子供のために、我慢できないほどのものなのだろうか。子供を道連れにして、過酷な人生を選択するその気持ちが、全く理解できない。

あと10342日

 4年くらい前に、時々不整脈が出るようになり、循環器内科の医院にかかったことがあった。脈が飛ぶというのは、本人にとっては気持ちがいいものではない。知り合いの医療関係者に聞いても、単なる期外収縮だろうから、問題ないと思うよと言われてはいたが、こと心臓に関しては止まれば死ぬので、そう安閑とはしていられない。

 そこで、近所に2軒ある循環器専門の医院のうち、最初にAクリニックに行ったところ、うちは予約制で一見さんお断りと言われてしまった。看板には確かに予約制とは書いてあるが、ただの町医者でそこまで徹底するのも珍しい。しかたがないので、その足で当時開院したばかりだったBクリニックに向かった。

 ここはガラガラで、すぐに診てもらえた。近頃はどこの病院に行っても電子カルテになっていて、慣れてない医者は時間がかかってしようがない。このBクリニックもそうだった。とにかくキーボードを打つのが遅いので、パソコンのモニターを見ながら患者と話しをしている。最初はモニタに向かって独り言を言っているのかと思った。ブラインドタッチができないんなら、入力専門の秘書を雇って、医者は診療に専念しろよと思ったな。

 ここでホルター心電図をつけて24時間様子を見ることになった。電極と本体を胸のあたりに張り付けて、そのままで24時間記録するんだが、いくら小さいとはいえ、胸にぶら下げとくのはやっぱり邪魔になる。寝るときも、寝返りではずれないかとか、いろいろ気にかかってゆっくり休めなかった。翌日取り外し、その後3日ほどして結果を聞きに、大雨の中、Bクリニックを尋ねた。

 結果はやっぱり期外収縮だった。脈がこれくらい飛ぶのはよくあることで、全然問題ない。もっと飛ぶようことがあったら、また来るようにと言われて、ほっとして医院を後にした。それでもドクっと空打ちするように脈が飛ぶのは、気持ちのいいものではない。あれから3年たっても、増えはしないが減ることもなく、脈は飛んでいる。

 昨日、時々送られてくるメルマガを読んでいて、期外収縮を抑える方法について書いてある面白い記事を見つけた。胸椎4番を整えると心臓に良いということは、いろんな本にも書かれているし、それらの種本になっている、松本道別著・霊学講座にも出ているので、以前から知ってはいたが、自分では背中に手が届かないからどうすることもできなかった。しかし、そのメルマガでは胸椎4番の対応点を紹介していた。つまり胸椎4番を整える代わりに、中指を掌の方に折り曲げて、対応点である中指基節骨の上を、親指で不整脈が止まるまで押しておくだけでいいらしい。早速試してみたが........何ともいえんな。

あと10345日

 古事記神代巻100回音読も一応達成したこともあり、また先日の咳喘息のこともあり、ここらで、このブログも含めて、一度生活を見直してみるのもいいのではないかと思っている。

 無駄に生きるとはどういうことかというテーマで、ほぼ休むことなく558回書いてきたが、毎日書くということは、思った以上に大変だということがだんだんわかってきた。一番の問題点は、時間の使い方が細切れになるということだ。書くという作業は嫌ではないんだが、朝起きて掃除して祝詞奏上と続く一連の流れの中で、ブログを書くということが、その流れを遮断しているような気がしてならない。そのことが、せっかく、時間を思う通りに使える身になりながら、それを有効に利用してないように感じる原因となっているようにも思える。

 つまり、1日が24時間ではなく、48時間や72時間として利用できる幸せを阻害している原因が、毎日書くという作業ではないかと思うようになった。今のわしにとっては24時間にこだわる必要は何もない。初期の頃はブログを書くことが、毎日のリズムになっていたが、時間の使い方に慣れてきて、もう少し長いスパンで生活をしたいと思うようになってくると、そのリズムが邪魔になってくる。

 勝手に書いているんだから、別に毎日書く必要もないだろうと言われればその通りなんだが、これも自分との約束だと思うと、なかなかそうもいかない。しかし今回は思い切って更新回数を減らすことに決めた。1週間に1回とか2週間に1回とか、不定期になると同時に、もう少し時間をかけて楽しく書きたいと思っている。

 そんなわけで、更新が遅れると思います。また、ゆっくりとみなさんのブログも訪問して、楽しませていただくつもりです。ブログはまだまだ続きますので、たまには覗きに来てください。haruさん、毎日読んでいただいてありがとうございました。時々は更新しますので、またよろしくお願いします。

 

 昨日の記事に書いた、寄り引け取引はロジックに間違いがありましたので、消去しております。過疎ブログでよかった。

あと10346日

 どうのこうの言ったところで、人間というものは、いくつになっても欲を捨てることはできないと思っている。或いは、欲があるから生きていける、と言ったほうがいいのかもしれない。中でもお金に対する欲求は特別で、誰にとっても、お金というものが、生きていく上での重要なバロメーターとなっていることは間違いないだろう。

 今は株はほとんど持ってないので、損をする心配はないが、儲けることも無い。ほとんどを手放した頃は、これで損する心配はなくなったと安心していたが、売った株が上がっていくのをみていると、別に損をしたわけでもないのに、なぜか損をしたような気がしてくる。ここであわてて手を出すと高値掴みをしてしまうので、それもできない。これは結構ストレスになると、最近気が付いた。

 売れば上がる、買えば下がるという感覚は、株式投資の経験者ならみんな感じていることだろう。それでも余裕資金で現物株を持っているということは、心の余裕にも繋がっていく。下がっても、売らない限りは含み損で、その間配当ももらえて利益は積みあがっていく。10年、20年持っていれば、つぶれない限りは必ず上がってくる。儲けようと思ったら、現物株の長期保有に限るということはわかってはいるんだが、ちょっと刺激もほしいと思うこともある。

 今年の6月から始めたのが、日経225miniの寄り引け取引というやつだ。売りか買いかしかないんだから、大雑把なところで確率5割といえるだろう。朝の寄りで、売りか買いのポジションを持ち、その日の引けで決済するので、夜まで引きずることがない。負けても損害はそんなに大きくならないし、これならストレスも少ないだろうと始めてみると、なかなかどうして、勝てば極楽負ければ地獄、毎日がこれの繰り返しだ。しかも年間勝率5割以上に持っていこうと思ったら、一日も休めない。

 

 起きて半畳寝て一畳天下とっても2合半、これだけあれば生きていけるとはいうが、お金というものは、あって邪魔になるものではない。誰でもお金がかかってくると真剣になるし、いい加減な気持ちではやれない。こんなことで、たまには人生真剣勝負という気持ちを思い出すのもいいのではないのかな。もちろん余裕資金で、ほどほどにやっとればの話だが。

あと10347日 古事記神代巻音読100回達成

 11月23日夜、去年の4月1日から始めた古事記神代巻100回音読が完了した。当初は、去年の11月までに終わる予定だったが、それはちょっと甘い考えだった。結局11月までには27回しか読めなかった。それから1年かかって73回読んだことになる。読み始めて602日目、途中、旅行と病気で読めなかった6日を除いた596日間、時間が無い時も、眠たい時も毎日机の前に座って読み続けた。やったから何がわかるとか、何か得るものがあるとか、そんなことは初めから期待していない。小さなことかもしれないが、誰に話すこともなく、毎日毎日596日間積み上げてきたことに対して、自分なりに満足している。

 この596日間で、全く何も得るものが無かったかといえば、それはそうではない。今回読み始めるまで、古事記はわしにとって遠い存在だった。子供の頃に絵本でみた、国生みの話や海幸彦山幸彦の話を断片的に覚えていたくらいで、そもそもこれらの話が古事記の話だということさえ知らなかった。そんなわしを古事記の言霊の世界に導いてくれたのが、相曾誠治氏だった。残念ながら相曾誠治氏は1999年12月31日に亡くなられているので、直接お会いしたことは無い。「言霊と太陽信仰の神髄」「サニワと大祓詞の神髄」という、氏が唯一出版したこの2冊の本との出会いがそのきっかけだった。

 100回読んでみてもわからないことが多い。わからないならわからないままで読み進めばいいんだろうと考えて読んできたんだが、結果的にはそれでよかったと思っている。わからないというのは意味が分からないのではない。最近現代語訳というのがあって、これを読むと、何か通り一遍な意味が書いてあるらしいが、それを知ったからと言って何の意味もない。わからないのはそんなことではない。わかろうとして、古事記の中に出てくる話を、自分の知識の枠のなかで解釈することのばかばかしさを、なんとなく理解できるようになった。

 相曾誠治氏の言うように、古事記から言霊を感じる読み方とは、目でストーリーを追うのではなく、正しく書かれた古事記を、ただ声を出して読み続けることしかないと考えている。結局死ぬ日まで毎日1行でも2行でも読み続けていけば、わかる日もくるかもしれない。

あと10348日 がん家系

 このブログを始めるきっかけにもなった、わしらの一族は癌で死ななければ94歳まで生きる、という話をわしに教えてくれたのは、親父の妹に当たるM叔母さんだった。

このブログの第一回あと10918日に書いたように、この時M叔母さんは88歳だったので、わしが「そしたら叔母さん、あと6年しかないがな。」と言ったら、ちょっとムッとしていた。

あれから後も、他の人からそんな話をい聞いたことがないので、M叔母さんだけが気にしているのかもしれないが、たとえ自分が言い出しっぺだとしても、寿命があと2000日ほどだと、他の人から指摘されるとあまりいい気はしなかったんだろう。

 この間のおふくろ13回忌の法事の時、わしは離れていたので気が付かなかったんだが、M叔母さんが隣に座っていた女房に、親父が何歳で死んだのかを確認したらしい。

女房が94歳だと答えると、「やっぱり94じゃったかな。」と深くうなずいて、またあの話を始めたそうな。確かに94歳で死んだ人は何人もいるので、全く間違っているともいえない。

今年はM叔母さんも90なので、これが正しいとするとあと4年ということになってしまう。当たることなくいつまでも元気でいてほしいものだ。幸いなことに、今回は近くで「そしたら叔母さん、あと4年しかないがな。」などと軽口を叩くものもいなかったので、気分を害することは無かったようだ。

昔のことを知っているのは、もうこのM叔母さんしかいないので、わしらの間では生き字引のような人だ。一日でも長生きしてほしいとみんな願っている。

 実は、わしもまだこのM叔母さんの94歳老衰死説は半信半疑なんだが、万が一本当にM叔母さんが94歳で老衰死をしたら、それは信じてしまうだろうし、当然自分のカウントダウンにも力が籠って来ることだろう。とはいえ、家系的には癌家系なので、癌になって早く死ぬ可能性が高いというのも事実だ。親父の兄弟6人のうち3人が癌で亡くなっているし、いとこも一人、40歳代でスキルス胃がんであっという間に亡くなった。祖父も肺がんだから、これはもう立派な癌家系だといえるだろう。

 わしは30年ほど前に、エドガーケイシーを知った。この人の予言に関してはあまり当たってないようだが、病気に関するリーディングにはなかなか面白いことが書かれている。最近はネット上でもブームになっているみたいだから、まんざら嘘でもないんだろう。わしはおふくろの肺がん治療に、医者の了解を得て丸山ワクチンエドガーケイシーのひまし油シップを行った。抗がん剤治療はしなかったので、この二つだけが唯一の医療行為となった。

 結果3月までと言われながら11月まで生きて、死亡時、左の肺は真っ黒だったが右肺は全く正常で酸素は足りていた。血液検査もすべて正常値、他に転移もなかったので、なんで死んだのかわからなかった。生き物は、生きたいという気持ちがあってこそ、生きることができるとしたら、生きる気力がなくなった時、或いは死を受け入れた時、死ぬということなんだろうか。

 ところで、エドガーケイシーのリーディングの一節に、1日1粒の生アーモンドを食べていれば癌にならないと書いてあるのを見つけて、それ以来10年近く食べ続けている。もしわしが94まで生きることができたら、生アーモンドの効用も立証されるということになるだろう。 

あと10349日

 最近やっと、新聞テレビ等メディアのデタラメさが俎上に上がってきたが、インターネット初期から、ネット情報に接してきた人たちにとっては、やっと追いついてきたかという感じだろう。佐藤栄作首相が辞めるときに、新聞記者は会見場から出て行け、国民に直接話したい、テレビカメラは前に来いと言って、新聞記者を追い出したことがあった。在任中、嘘を書かれ続けて頭にきていたんだろう。新聞記者が誰もいない会場で一人テレビカメラに向かって話していた。当時はこれが異様な光景だと言われたが、今から思えば、また違った意味で異様な光景だった。

 編集権は我々にあると豪語しているテレビを、あまりに無邪気に信用している総理大臣、それをわしらはどのようにとらえたらいいのか、ほんとうに異様な光景だ。今でこそ、ネットで暴かれるから、やらせが国民にもわかるようになったが、当時はまだばれてなかったんだろう。もし今、佐藤総理が生きていたら、画像の切り貼り、テロップの捏造、何でもありのテレビを信用しているなどと、恥ずかしくて言えないだろうな。わしもたまには見ることもあるが、初めからやらせとして見ているし、出演者が変なことを言い始めると、ほらほらまた始まったぞと、消すようにしている。なくても全く困らない。

 新聞をとらなくなって8か月になる。たまに緩衝材として、紙が欲しいときはあるが、中身が読みたいと思ったことは一度もない。拡販員というのか、新聞社とは別の集団が一回やってきて、新聞くらい読みなさいよと偉そうに言うので、丁寧に御引取願ったら、それ以来こなくなった。この拡販員というのが昔から曲者で、今はどうか知らないが、ゴロツキやチンピラのようなのがいて、女性1人で住んでいる部屋を回って契約をとって問題になったこともあった。

 わしも経験があるが、当時は29歳独り者で、怖いものなしだったから、丁寧に御引取願ったが、勝手にドアを開けて、中まで入って来て大声をあげられたら、女性1人なら怖くて契約するだろう。また、「テンプラ」という業界用語を覚えたのもこの頃だった。当時は拡販競争が激しかったようで、朝日と読売がよく来たが、読売の態度が特に悪かった。ある晩やってきた読売の拡販員が、捨て台詞を残して帰った次の朝から、読売新聞が配られてきた。何かの間違いだろうと2~3日ほうっておいたが、いつまでも続くので、ある晩、普段使っている印鑑をもって、読売の販売店を尋ねた。

 住所氏名を言って用件を伝えて、契約書を見せて貰った。やはり、知らない三文判を押してあったので、自分の印鑑を見せて、明日から入れないようにお願いした。店主は謝罪した後、こういうやり方で契約を偽造する方法をテンプラというんですよと教えてくれた。他にも苦情が入っていたらしいが、偽造した本人はもういないし、販売店も困っているようだった。いい加減なやつが多かったんだろう。あれから37年、アカが書きヤクザが売って馬鹿が読む、などと揶揄されている新聞社もあるようだが、この業界の役割は既に終わっているような気がする。