無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9743日 賀名生の行宮

今日、5月15日から始めた、大日本史・巻の68、69の後醍醐天皇の書写が終わった。A5、5mm方眼紙22枚、44頁になるので結構な量になる。

「15日辛丑、天皇位を皇太子に譲り、16日吉野の行宮に崩ず。年52、遺詔(いぜう)して後醍醐天皇と称ぜしむ。」

「左に法華経を把り、右に剣を按じ、以て崩ぜり。群臣亦其の言を奉じ服御を改めず、北面して蔵王堂の塔尾に葬れり。」

誕生から吉野の行宮で崩御するまでの52年間を、公家や武士の人事を絡めながら、格調高い文語体でテンポよく紹介している。

これから後村上天皇長慶天皇後亀山天皇と続いていくのだが、それはしばらく休んで、列伝の巻で紹介されている源親房・顕家、新田義貞脇屋義助等、登場人物の人物像をみていくことにしている。

2016年3月に、日本一長い路線バスとして有名な、大和八木発新宮行のバスに乗ったことがあった。出るときは空いていたが、五条駅前から大勢の人が乗ってきて、満員になってしまった。

この人たちはどこまで行くんだろうと思っていると、5つほど先にあった賀名生というバス停でみんな降りてしまって、バスの中はまた静かになった。

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社参拝が目的だったので、それほど気にもかけなかったが、南北朝に興味を持つようになると、あの時、賀名生という大事な場所を見逃したことが残念でならない。

南北朝の動乱をみていると、軍隊の機動力には驚嘆させられる。鎮守府大将軍源顕家なんかは陸奥から京都まで万単位の軍勢をつれて2往復しているし、京都から丹波、鎌倉、関東と様々な場所で合戦が行われている。兵站をどうやって確保したのか不思議だ。

昭和17年、各自が20日分の糧秣を背負って東部ニューギニア・オーエンスタンレー山脈を越え、ポートモレスビー攻略に向かった南海支隊は、持って行った米を食べつくして全滅した。

南北朝時代では金ヶ崎城籠城で餓死者がでているが、それ以外には補給の話はでてこない。一か月も軍団が移動すると、米だけでもかなりの量を消費すると思うが、それなりに食べていたんだろうか。

歴史を見るうえで勝った負けたは確かに面白いが、こんなことも気になってくる。

 

あと9754日 長慶天皇陵

中高の歴史の教科書でも、建武の新政を行ったと簡単に紹介されていた後醍醐天皇だが、今ではほとんど忘れられているようだ。戦前の一時期、忠君愛国のシンボルとして持ち上げられ、国民に多大な影響を与えた楠正成ですら話題になることもない。

高校でも国史を取らずに卒業できるらしいから、うちの子供らも何も知らない。特に興味もないので、自分で歴史の本を読むこともなかったらしい。嘆かわしい限りだ。

少なくとも国史くらいは必修にすべきだと思うが、日本が嫌いな社会科教師もたくさんいるようなので、変な授業をされるくらいならないほうがいいのかもしれない。

まだ現役のころ、中学の同窓会で県立高校の社会科の教師をしているY君と話したことがあった。Y君は、職場の社会科教師の政治的偏向がひどすぎると憤慨していた。いわゆる左巻き一色ということだ。

そういうY君自身も、真実に覚醒したのは最近だと話していたから、蒙昧な人生を20年以上送ったことになる。

Y君は、自分は気が付いたからよかったが、気が付かずにまだ変な思想を語って、子供らを洗脳しようとしている教師がいるんだから、困ったものだと話していた。6人の社会科教師がいて、Y君以外はみんな左巻きなんで、それを正そうとしても多勢に無勢で話しにもならなかったらしい。

さて、話は南北朝に戻るが、伯父の家の近所に立派な長慶天皇陵がある。

近くに大日本史にもでてくる南北朝の古戦場跡があるので、少しは南朝方と関係があったのかもしれない。

長慶天皇とは南朝第3代天皇だ。資料が少なく最期についてはよくわからないが、明治天皇南朝が正統だと勅裁を下したことが切っ掛けとなって、長慶天皇も正統と認められるようになり、皇統譜に加えられたということらしい。

大日本史後醍醐天皇を読んでいくと、尊氏が作らせた偽の神器を持っただけの、現皇室につながる北朝はインチキだと言わざるを得ないが、まあ、そこらあたりいろいろ見方があるんだろう。

終戦直後、南朝熊沢天皇という人が出てきて、昭和天皇皇位を請求して話題になったことがあった。初めてその話を知った若いころは、そんなことは荒唐無稽だと思っていたが、後醍醐天皇の末裔はどこかにいるはずだし、南北朝に少し興味を持つようになると、それもありかなと思うこともある。

明治天皇がいうように南朝が正統なら、いずれは正統な南朝天皇が即位する時がくるということになるのかな。

あと9764日 神聖喜劇

処分する予定の本を、玄関にうずたかく積み上げてはみたが、それから先になかなか進まない。2階の玄関は使ってないので、いつまで置いていても別に問題はないが、その山を見るたびに気が滅入ってくる。そこで先週のこと、一念発起して行動に出た。

といっても、試しに「神聖喜劇」全5巻を近所の古本屋に持っていっただけだが、予想通りというか、その買取値段の安さにはがっかりしてしまった。最近、この地方では有名な産土神社の横にできた、T書房という古本屋だ。

なぜ「神聖喜劇」を最初に売ったかといえば、この本はとにかく読むのに骨が折れる本で、もう二度と読むことはないということがはっきりしているからだ。

主人公東堂二等兵の、読者が辟易するほどの博覧強記についていくだけの教養が、残念ながら自分にはなかったことも、原因の一つかもしれない。

読みにくい本で、果たしてこの本の隅から隅まで読んだ人が、著者以外に本当にいるんだろうか、と思えるほどだ。

漫画化もされていたので電子書籍で購入して読んでみたが、さすがに内容は希釈はされていた。それは当然のことで、あれを全部入れていたら漫画にはならないだろう。

そんなことをいろいろ考えながら、本を提げて店に入ると、30代と思しき、ちょっと頼りなさそうな、古本屋には似合わない可愛らしい女性が出てきた。本当に本の査定ができるのか少し不安になった。

買取をお願いすると、「少々お待ちください。」と言って、奥へ入っていった。カチャカチャとキーボードを叩いている音がするので、古本業者のデータベースでも検索しているのかもしれない。

5分ほどして出てくると「800円でいかがでしょうか?」と言ってきた。もう一声とは思ったが、面倒くさいのでやめにして、素直に800円を受け取った。

これでやっと5冊は片付いたことになる。なんかほっとした。

ついでに、家に古い本がいっぱいあることを話すと、出張査定もしますと言って店の名刺をくれた。これで買い取り値段さえ気にしなければ、この店に電話すれば、家にある本はすべて片付くことはわかった。

ネットで売ることも考えたが、特殊な本なので気軽に買うようなものでもないし、たぶん買い手はつかないだろう。

女房とは夏までに処分すると約束していたのに、もう夏になってしまった。秋までにはなんとかしなくては。

あと9777日 十種神宝

古事記神代巻音読を始めてすでに3年が経過した。100回を越えてからペースが落ちたが現在139回目の途中だ。いろいろ用事もあって、なかなか進まない。来年3月で町内会長の任期が終わるので、また以前のように自分だけの時間の流れの中で、ゆったりと暮らせる日が来るのを心待ちにしている。

早朝は、現在同居している二男や女房の出勤と重なり、時間的に難しいので、二人が出かけ、掃除も終わった後に祝詞奏上を行っている。別に何かを期待しているわけでもなく、昨日もいつもの通り神前に座り、いつも通り終わる予定だった。

ところが、昨日は最後にちょっとした出来事があった。それは、少し声がかすれて調子は良くなかったが、一連の祝詞も滞りなく終わり、印を結んでいたときのことだった。

自己流だが、いつも最後に十種神宝による鎮魂を行っている。普段は流れの中で何気なく行っていることだが、昨日は印を結んでフルへユラユラと唱えていると突然意識が飛んでしまった。すると、向こうの方に広がる野原の一本道を、一人の白髪の老人が笑顔でゆっくり歩いてきた。

その顔に見覚えはない。近づいてきて視界から消えると、そのまま私の横にあったベンチのようなものに座った。誰だかわからないが、なんか楽しかった。白髪といっても、如何にもというスタイルではなく、髪は短く刈り込んであり、所謂胡麻塩頭だったかもしれない。地味な洋服を着ていた

横に座ったと感じたとき、意識が戻った。手は印を結んだままだったから、短時間の出来事だったんだろうが、長く感じた。或いは一瞬寝てしまって、夢を見ただけかもしれない。夢なら夢でもいい。こういう夢なら何度でも見てみたい。しかし、あれは一体誰だったのかな。

あと9788日 家族とは

最近老人の暴走事故や引きこもりに関連した事件、列車事故が多発しているが、いったい何があったんだろう。それぞれの事件には関連性は無いと思うが、5月に年号が令和になり、歓びムードの中ではあるが、案外、後の世からこの令和の時代を眺めたら、昭和時代以上に波乱にとんだ時代にみえることになるのかもしれない。そんな気がする。

そんな事件の一つに、元農水次官が息子を刺殺したというのがあった。報道によると10回以上刺していたらしいから、そうだとすると殺す気で刺したんだろう。

親が子供を殺すという悲劇に至るまでの過程は、もちろん当人にしかわからないが、家庭というある意味アウトローな空間の中では、次官という位人心を極めた人であっても無力であったと言えるのかもしれない。

本来、愛情や思いやりで築かれているはずの家族関係が崩壊し、家の中を力が支配したらどういうことになるのか、それを物語っているような気がしている。

親は常に子供のためを思って行動するもので、ほめるときはもちろん、叱る時でも叱ったほうが子供のためになると思って叱る。そして、言いすぎたんじゃないかとか、あんなに言わなくてもよかったんじゃないかと、いつも反省している。

普通の家庭ではそうやって親と子供が真剣に向き合い、お互いを認め合うことで、力ではなく愛情や思いやりに基づいた精神的なつながりが育まれていくのだろう。

子供の成長につれて、我が家でもそうだったように、ほとんどの家庭で一度や二度の取っ組み合いの親子のけんかは経験していると思う。親が子供の成長を認めて、子供としてだけではなく、一人の人間として尊重するように考え方を変えなければ、どこまでもエスカレートしていくだろう。

しかし、子供がある一線を越えたとき、命を懸けて立ち向かうのも親の務めだと思っている。殺された息子は、中学のとき、母親を殴り倒して気持ちがよかったらしいが、その時父親は息子を殴り倒してでも母親に対して謝罪させたんだろうか。家からたたき出したんだろうか。

そんなことは知るすべもないが、殺すと決めたとき、様々な思いが胸中を駆け巡ったことだろう。

力が支配する家庭の中で、会話はすでに不可能だったのかもしれない。子供を殴り倒してでも矯正してやるだけの力も気力も自分には無いと悟った時、包丁を手に取ったということなのか。

おそらく今は、子供のかわいかった時代のことばかりが思い出されて、自分を責めていることだろう。

あと9801日 オメガの腕時計

先月、46年前に香港で購入したオメガの腕時計を二男にやった。この時計は22歳の時、初めての航海で香港へ行ったときに、給料をほとんどはたいて父親に土産で買って帰ったものだが、10年ほど前に分解掃除をして返してきたものだった。

何万円もかかったらしいが、時計屋さんに良いものだから大事に使ってくださいと言われたらしい。もう十分使ったから返すと言って置いて行った。たしかに年をとると、重い時計よりは軽い時計のほうが使いやすいのは事実だが、そいいうことではなく、自分の寿命より時計の寿命のほうが長いと気が付いたのかもしれない。

いい時計というのは頑丈なもので、二男が何十年か使ってまたその子供に引き継がれるかもしれないと考えると、楽しくなる。

私は時計にステータス感じることもないし、高い時計がほしいと思ったことは無かったが、当時の船内に、KINGSEIKOの最高級品を持っている、時計好きの人がいて、当直中にいろいろ時計の話してくれた。

私にもバンスしてロレックス買ったらいいと勧めてくれたが、時計に何十万も出す気はなかった。しかし今から思えば、船に乗っていれば生活費はかからないから、あの時に思い切って買っておけば、今頃高く売れたかもしれない。

この間父親の法事をしたとき、久しぶりに帰ってきた兄と二人で飲んだ。翌朝空き缶が山のようにあったから、二人ともかなり酔っぱらっていたんだろう。その時に仕事から帰ってきた二男をつかまえて、「わしは、S君(二男のこと)が大好きだ。お前にわしのロレックスをやる。」と突然言いだした。

昔仕事で一年間マカオに行った時買った、オイスターなんとかという高い時計をやるというんだが、言われた二男もなんと答えたらいいのか困っていた。まあ酔っぱらいのいうことだから、真面目にとるなよと言ってはおいた。

しかし、後から思ったんだが、案外兄もオメガを返しに来た父親と同じような気持ちだったのかもしれない。というのも兄夫婦には子供がいないので、自分が死んだあとも時を刻み続ける時計は、血のつながった大好きな甥に大事にしてもらいたいという気持ちもあったのかもしれない。

とはいえ、酔っぱらいのそんな話を傍で聞いていた兄嫁の気持ちや如何?というところかな。

あと9804日 大日本史

身の回りの整理を始めているがなかなかすすまない。ちょっと油断するとすぐにたまってしまう。ほんと、困ったものだが、やっとこの間から本の整理にとりかかった。この家で一番場所をとっているのが本だということは間違いない。

その中でも一番家に負担をかけているのはサンケイカメラとかカメラ毎日、アサヒカメラといった写真雑誌で、昭和30年代からのが揃っている。これらの雑誌はいい紙を使っているのでとにかく重い。

次に多いのが大東亜戦争史関連の本で、ほとんどが古本屋を回って買い集めたものだ。中には貴重な本もあるんだが、戦史には子供らも興味はないようで、いずれは紙ごみで出されてしまうんだろう。

すると女房は、それがわかっているのなら、とにかく古本屋に来てもらって売れる本は全部買い取ってもらって、売れない本も全部処分してもらったらどうかと提案してくるんだが、集めた本をすてるということはそれほど簡単ではない。

本棚で異彩を放っているものと言えば、義父の形見分けでもらった漱石全集、菊池寛全集、蘆花全集、これらは初版本で、いかにも古そうだ。皮表紙の藤樹先生全集、山路愛山訳の大日本史、これらは貴重な本のようだが、かなり傷んでいる。女房が形見の本は全部処分していいというので、これにはちょっと期待している。

しかし、ここで問題が発生した。この大日本史、初めて読んでみるとなかなか面白い。作業をわすれて読んでいるうちに、売るのが惜しくなってきた。学校で習う歴史の教科書では、水戸光圀が編纂した歴史書だと紹介されているだけで、どんなものか想像したことも無かったが、記載事項が全て出典付きで、大変な労作だ。

ただこの本は、旧仮名遣いは当然だとしても、文字が小さすぎて読めない。しかしそこは心配ない。7~8年前に石坂浩二が宣伝していた頃、娘が買ってくれたハズキルーペを持っている。たしかにこれは強い味方だ。

本が傷んでいて、何回も読み返すことができないので、南北朝あたりはどのように書かれているのか、後醍醐天皇の項から書写を始めて1周間になる。

「諱は尊治後宇多帝の第二子なり」から始まって今日「13日丁亥、北条高時、文観を硫黄島に、忠圓を越後に徒して圓観を陸奥に拘ふ。」まで書き写した。風雲急を告げてきたあたりだ。

そんなことで、本の整理は少しお休みになってしまったが、焦っても仕方がない。金がかからないということが条件だが、思い立ったらなんでもできるというのは、年金生活の醍醐味だといえるのかもしれない。