無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10912日 孫の子守

 今日は初めて、単独で2歳4ヶ月の孫と1時間過ごす事になった。産科検診に行く娘と孫を娘の家で拾って、娘を病院で降ろし、孫と2人で我が家に帰って来た。こういうときに頼りになる女房はいないし、さあ、1時間何をするかな、何がしたいと聞いてもうんともすんとも言わない。買い物ごっこもやらないという。ジュースもいらない。しかしテーブルの上に「おっとっと」があったのでこれを食べるかときいたら、食べると言ったので少し波に乗って来た。そのうちに画用紙を持って来て絵をかいてくれというので、アンパンマンバイキンマンを描いてやったがどうも似てないらしい。孫が自分でも何かの絵を描いて、これなんだ?聞いてくるがさっぱりわからない。少し間延びしたような雰囲気が続いたが、赤ピーマンを描いてやるとわかったらしい。それならばと緑のピーマン、調子に乗って昔よく描いた零戦伊号潜水艦、戦車も描いてやったがこれはちょとしらけたかな。突然「これ何?」と言って袋を持って来た。中にシールを貼る帳面が入っていて、それを見て急にはしゃぎ始めた。「これがママ?、これがおねえちゃん?」とか、さかんに相づちを求められるのだが、何のことかよくわからん。適当に相づちをうって笑っているうちに娘から電話があった。わけのわからん1時間だったが、また来ると言っていたから、少しは楽しんでもらえたのだろうか。こんな小さい子ばかりを相手にしている保育士の皆さんは偉い。義務教育の教員よりは給料たくさんもらっていいと思うぞ。

 今日は肉じゃがを作った。自分で献立を考えるのは大変だが、女房にこれを作っといてといわれて作るのは苦にならない。