無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10905日

 わしの出た中学は4年に1度同窓会をやっている。以前は5年に1度だったんだが、たしか日本でワールドカップを開催したときに、ちょうどその5年に1度の同窓会があって、その会場で、これからは4年に1度ワールドカップの年にやろうと決まったように覚えている。サッカーの好きなやつがいたんだろうな。わしは4年ごとに会って何を話すんだと思ったが、別に出なければ良いだけだから、反対する理由はなかった。結局10年以上出てないが、参加者が減って、わしがまだ元気ならそのときはでようと思っている。

 最後に出席したときに、わしの担任だった先生ともう1人が高齢で病気のため欠席で、1人の先生しか参加してなかった。わしはその1人の先生が近況報告として話した内容に興味をもった。hogehoge大学のhoge先生の平和学とかの授業によばれて戦争体験者として学生に悲惨な戦争体験談を話しているということだった。そうか、戦争体験者か、と思い年から逆算していって驚いたよ。その当時まだ幼児か国民学校低学年じゃないか。幼児の戦争体験を大学で聞いてどうするんだと思ったね。

 それまでは、わしの頭の中では戦争体験談とは、わしの親父や伯父さんやら、少なくとも軍隊経験のある人の体験談をさしていた。それが幼児とは驚いたね。おそらく自分が体験したり感じたりしたと思っている事は、戦後親から聞いたり、本で読んだりして仕入れた知識だろうに。まじめな人だから利用されているんだろうなと思ったね。

 わしの若い頃はどこに行っても本物の戦争体験者だらけだった。病院の待合室などでも老人同士で「どちらの部隊でした。」というような会話がよく聞かれた。今ではテレビや新聞で戦争の体験談を話している人がいたら、わしは年齢を必ず確認している。89〜90歳以上でないと信用しない。本物の戦争体験者の多くが亡くなったのをいいことに、70代で戦争体験者などと祭り上げられていたら、あの世にいったとき、本当の体験者に、このはなたれ小僧がとドヤされるぞ。