無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10903日

 今朝は6時30分から掃除を始めたが、久しぶりに仏壇をやらなくてはと思い立ち、床掃除はシャープCOCOLOBOに任せて仏壇掃除に取りかかった。たまにハタキはかけていたが、それでも結構ほこりが溜まっていた。位牌、ろうそく立て等全部取り出ししたが、その中にあった奈良の大仏を久しぶりに手に取って磨いた。これは、わしが中学1年の春休み(昭和40年)に、親に頼み込んで1人で奈良に行ったときにお土産で買って来たものだ。国語の教科書にあった大和三山や法隆寺の写真がみょうに気になったんだな。大阪まで船で一晩かかるが、港までおふくろがついて来て、わしの前に並んでいた、出張帰りという神戸の三菱重工の社員に頼んでくれた。この人がいい人で、自身が神戸で降りるまでいろいろ気に掛けてくれたよ。

 大阪では叔母の家に泊めてもらった。わしは1人で奈良に行くつもりだったが、叔母が1人ではいかん、娘と一緒に行けというんだな。わしと同い年だったので、嫌だったが仕方が無い。この年代の男子は女子と一緒に歩く事にはすごく抵抗があるのはわかるよな。鶴橋で近鉄に乗って終点の奈良駅に着いたけれど、ちんけな駅だった。東大寺まで歩いて行ってそこで買ったのが、例の大仏だ。最近のちゃちなものと違って、金属製で結構しっかりしている。その後、興福寺のあたりからバスに乗って法隆寺まで行った。途中は、ほんと田舎だなあと思ったのを覚えているくらいで、あまり記憶に無い。またバスで引き返して薬師寺唐招提寺をみて帰ったのだが、大和三山までは行けなかったが、古都の雰囲気は味わえたので、満足して帰ったよ。

 去年長男が奈良で用事があり、車で行くというので同乗させてもらった。奈良で別れてわしは住吉大社参拝祝詞奏上したのち、堺で1泊して次の日、吉野へ行った。その帰りに蘇我氏の邸宅があった甘樫丘に登り、天の香具山を見た。昔見た写真とはこの地方も様変わりしていたが、大和には群山あれど.....といううたをくちずさみ、1人で奈良へ来たときのことなど思い出されてきたものっだった。やはりわしは京都よりは奈良のほうが好きだな。