無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10902日

 1日1日カウントダウンが続き、あの世が近づいてくるのだが、実感が無いのは、わし自身がほんとうはまだ死なないとたかをくくっているんだろうな。毎日このブログを書くたびに思い出してはいるが、何時死んでもいい、と言うのは簡単でも、その心境になるのは死ぬ直前だけだろうな。まあ、元気なときのこの手の発言くらいあてにならないものはない。

 おふくろは84歳で肺がんで死んだが、突然余命3ヶ月と告げられて、かなりショックを受けて、寝込んでしまった。結果をきく直前まで、ちょっとしんどいけど、普通に暮らしていたんだが。しかし、元気なときは、自分がもしガンになったら隠さずに、告知してほしいとみんなに言っていたし、病院でも本人がそのように伝えていたので主治医は告知したんだが、あまりの落ち込みようにみんなが驚いたよ。やっぱり死ぬとは思ってなかったんだねえ。

 2月に余命3ヶ月と告知されたが、11月25日まで生きた。延命治療はやらなかったので、8ヶ月家でみて、最後の1ヶ月ホスピスに入ったが、いろいろ妄想に悩まされて付き添っていた女房は苦労したようだった。死を受け入れたのは2〜3日前になってからだったな。突然、もうええ、寝かしてくれと言い出して、ひとりひとりの名前を挙げて世話になった、ありがとうと礼をいってモルヒネをうって寝てしまった。わしは最後の瞬間には立ち会えなかったが、人間、最後になると、自分の死期はわかるんだなと改めて実感したよ。

 とにかく毎日を後悔無く生きていければおのずと死への道は開けていくんだろうが、どうも生きていくこと自体に後悔することは含まれているようなので、後悔の無い生活などはありえない。だとしたら、適当に忘れたり、無視したりしながら、折り合いをつけていくしかないんだろうな。

 

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