無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10901日

 わしが仕事を辞めて今日で50日になるが、毎朝6時には起きて布団をあげて神棚の水をかえて、祝詞奏上後、朝飯を食べている。女房が仕事に出かけた後、食器を洗って掃除機をかけるんだが、COCOLOBOに頼る事もある。次に廊下、板の間の雑巾がけ、風呂の掃除、洗濯物干し、これが終わるとだいたい8時頃になっている。さんの汚れとか、タイルの目地の汚れとか、気がついたところがあればこの後30分くらいかけてきれいにすることもある。そして、もう一度今度は6つの祝詞を奏上し、ベランダに出て太陽を参拝する。

 一段落したところでパソコンで天気予報と株価チェック(株式投資歴は35年ある)をし、いつも見ているブログ4つ5つを見た後、産経netviewで紙面を見る。これでだいたい11時位になっている。すぐに昼飯の支度にかかる。飯を夕食とあわせて2.25合炊いて、昼に1合食べることにしている。食べ過ぎるといわれるが、わしはいくら食べても太らないし、飯がうまいんだよね。宮沢賢治は1日玄米4合とみそと少しの野菜を食べ、と書いているからそれにくらべても多いとは思わんね。

 1時過ぎから7000歩の歩行がはじまり、終わるのが2時過ぎで、へとへとになって乳酸菌飲料か、コカコーラを飲んでいる。小太郎花子が寂しそうなのでおやつをやったりしているうちに両側から挟まれてソファで一緒に寝てしまう事が多い。

 3時になると洗濯物をとりいれて、晩飯の支度をはじめなければならない。女房からの指示通りに、いろいろおかずを作るんだが、今日はポテトサラダと豆腐のみそ汁を作った。女房が仕事から帰って来たら豚肉を焼く事になっている。女房が帰ってくるまでの間に、古事記神代巻を読んだり、このブログを更新したりしている。このブログも別に読者がいるわけでもないので、いつやめてもいいようなもんだが、そうはいかんのだよな。わしのなかではすでに掃除道、飯炊き道と同じくブログ道に昇華されている。誰かに見てもらう必要はない。とにかく書き続ける。まあ、見てもらったほうが元気にはなるけどな。

 これが50日続いた。これからも少なくとも11月3日までは続くんだが、ほとんどの男は耐えられないだろうな。