無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10898日

 今日も快晴で最高27度という暑い日だが、ふと思い立ち、朝の掃除、祝詞奏上、太陽参拝終了後、9時くらいから庭の剪定、草抜きを始めた。涼しいうちにと思ったが、すでに日は高く、くそ暑いが自分を奮い立たせて立ち上がったのはいいが、さて、軍手はどこにあったかな、剪定ばさみは、ビニール袋は、という具合で、女房がいないとさっぱりわからないんだな。こんなことでは1人では生きていけんぞと、ねじを巻きなおして、あちこちごそごそと30分ほど探しまわり、やっとそろえたよ。

 庭というのもおこがましいくらいの小さなもので、紅梅、白梅がメインになっていて、周囲にツツジや牡丹を植えている。親父は若いときは朝鮮の営林署で造林の仕事をしていた。今の北朝鮮の山の中で朝鮮人の人夫をつかって禿げ山に木を植えていたんだな。戦後は裸一貫で帰って来て、県の林務課に就職し、その後県の林業関係の業務を定年まで続けた。そんな関係で植木が趣味だったんだな。

 25年前に二所帯住宅に建て替えてわしら家族と一緒に住むようになったが、そのときに庭は必要不可欠ということで、わしなんかは駐車場にして、車2台置けるようにした方がいいと思ったが、そんなことを言うと思いっきりどやされたよ。それ以後ずっと庭いじりを楽しんで来たのだが、2005年におふくろが死んでからあまりやらなくなった。ときどき女房やわしが草を引いたり、長くのびすぎた枝を切ったりしていたが荒れてしまったな。

 5年ぐらい前にうつがひどくなり、女房も仕事があるし、家では看れなくなって施設にはいってもらうことになったんだが、じぶんも庭の手入れはあまりしてなかったのに、突然、梅の木は自分では切らず、専門業者にたのんで剪定するようにいいだしたんだな。梅の木のことは気になっていたようだった。

 わしは一応了解したが、親父には悪いがその後一度も業者に頼んだ事は無い。近所の立派な梅を参考にして切りまくっている。桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿というが、梅を切るのも難しいぞ。今朝も親父は怒っているかもしれんが、ビシビシ切らしてもらったよ。ほんとヘタクソだけどな。

 

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