無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10895日

 幸せは歩いてこないだから歩いて行くんだね。1日1歩3日で3歩3歩進んで2歩さがる、人生はワンツーパンチ汗かきべそかき歩こうよ、あなたのつけた足跡にゃ、きれいな花が咲くでしょうーーーーー久しぶりに水前寺清子の365歩のマーチを聴いたがなかなかいい歌だな。昔、うちの裏に松下壽電子工業があって、8時になるといつもかかっていた曲だ。若い頃はそう思わなかったが、じじいになって改めて聴いてみるとまさに人生そのものだ。星野哲郎は天才だな。星野哲郎はわしの母校の校歌も作詞しているらしい。というのもわしが卒業してからしばらくして校歌が変わったんだな。だからわしは知らないから歌えないが、歌詞を読んだ限りでは平凡で、365歩のマーチのきらめきは無いな。もちろん以前の校歌が強烈だったというのもあるんだが。

 わしは昭和43年4月9日、入学式で校歌を聴いてたまげたよ。この曲は軍歌の歩兵の本領じゃないかとわしは耳を疑ったね。歌詞も聴いてみるとなかなか勇ましいではないか。後に国語の教官が、うちの校歌は戦前の海軍時代とほとんど変わっていない。曲は「アムール川の流血や」「歩兵の本領」と同じだ。ただ、大君のためを祖国のためと書き換えただけだと教えてくれた。前の校歌がこれだから、さすがの星野哲郎も平凡にならざるをえないだろうな。

 わしが卒業して2〜3年後の甲子園予選で結構いいところまでいったんだな。準決勝あたりで優勝候補といい勝負して惜敗したんだが、わしはすぐに校歌が頭に浮かんだな。ひょっとして甲子園で歩兵の本領、アムール川の流血や、が流れるのか、朝日新聞が腰抜かすぞ、と母校の勝敗よりもそちらの方が関心があったな。今は予選段階でも校歌が流れるようだが、当時はそれはなかった。もし甲子園で全国にあの歌が流れたら、それはさぞや痛快だっただろうが、ひょっとしたらそんなこともあって変えたのかもしれんな。あの校歌が歌える人もだんだん減ってきたな。