無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10894日

 人間1人で生きていくうえで、何が大切かという事を考えた時、人とのつきあいなどは無くてもどうということはないが、食べる事だけは避けて通れない。死ぬまで毎日元気に食べる事ができたら最高の人生だろうね。いくらきれいごと言ったって、食べられなくなったら終わりだよ。断食修行だなんだといったところで、明日食べるものが確保されているからできるのであって、食べられないで死にそうな人が、ああ断食できて良かったなどとは絶対いわないだろう。

 女房の家系には94歳まで長寿の人はいないので、遺伝的にはわしの方が長生きしそうなんだな。5年ほど前に、晩年1人で暮らす可能性が高いということに気がついたわしは、自分で料理を覚えようと思った。最後まで自分で作って自分で食べて、それができなくなったらさようならという人生を送りたいと思ったからね。そこで、料理本を買って来て材料を揃えて、イタリア料理とか、ちょっと凝ったやつをやろうと始めたんだが、まあ、そこそこできはしたんだが、女房からお金がかかりすぎると文句がでたんだな。どうせやるなら、冷蔵庫の中にあるものを使ってできる料理をやってくれと言われたよ。献立考えてから材料を揃えるのと違い、与えられた材料で献立を考えるのは案外難しいぞ。これでわしの料理熱も一気に醒めてしまった。

 それから5年ほど過ぎて、今年の4月から再開したわけだが、今回は一応前の徹を踏まないように、まず手始めに冷蔵庫の中にあるものから女房に献立を考えてもらうということから始めてみた。それを作っているうちに要領もつかんでくるだろうと考えているが、57日たってもいまだに献立は女房に頼っている。100日迄には自分で完結できるようにならんといかんな。

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