無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10891日

 宗教に関心をもつというと、多いのが病気直しだろうと思うが、これを迷信だとか、非科学的だとかいう人も多いが、説明できない現象が実際におきているのも事実なんだな。人が宗教を信じるということは頭だけでできるもんじゃない。そこには何かの体験がなければ、本当に信じる事はできないと思うよ。この体験で一番手っ取り早いのが病気直しらしい。これはわしが言っているんじゃなくて、ある教祖から聞いた話だ。本当に直る事があるらしいよ。

 わしは一度だけ月1万円の会費を払って教祖に指導してもらったことがあるが、長続きしなかった。ひょっとしたらその人は本物だったのかもしれないが、人を信じられなかったんだな。やはり宗教の世界は信じられなければ成り立たないものだと思った。30年も前の話だけどな。結局わしは誰にも頼らず、わしだけの世界で理解しようと、あせらず、こじんまりとできることをしてきたが、おそらくわからないで終わると思うよ。しかし、今はそれはそれでいいんじゃないかと思っている。

 実はわしはその人の査霊によって守護霊を確認できた。本当に霊があらわれたようだった。たわごとだと笑う人間のほうが多いだろうが、わしは笑わないし否定もしない。なぜなら、わしはそのことを知らないからだ。知らない事はわからないとしかいえない。しかし、思い当たることはある。不思議な事はあるんだよ。