無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10885日

 昨日あたりから梅雨に入ったようで、雨が降ったりやんだりしている。こんな天気が続くとなんとなく気分が滅入ってくる。勿論わしがそう思うだけで、世間はわしのことなど斟酌せずに普通に流れていくのだが、1人でいると世間すべてが自分の色で塗りつぶされているかのように感じてしまう事がよくあるな。この状況を説明するのに、「世の中がつまらないとか、たいくつとか言うやつがいるが、それはおまえがつまらん、たいくつな人間だということで、世の中はおまえとはなんの関係も無しに存在しているんだよ、おまえがが変れば世の中は変るんだ。」ということがよく宗教や哲学などのhowto本にわかったふうに書かれているんだが、どうなんだろうね。わしにはよくわからんな。

 1人でいるときには1人の世界なんだから世の中を自分の色で塗ってしまうのは当然で、自分がたいくつなら世の中退屈に思えて、自分がつまらんと思えばつまらなくみえるのは当たり前だ。そりゃ自分を変えれば世の中の感じ方が変わるだろうがいつまでも続く訳ではない。なぜならば変る前の自分もどこかへいってしまうのではなく、つねに内包していて、時をみてしゃしゃりでてくるからだ。心の内面はいつも乱痴気騒ぎしているのはみんな自分で気がついているだろう。この乱痴気騒ぎをなんとかしないかぎり無理なんだが、そんなことできる人がどこにいるのかね。できもしないことをしかめっ面して言える人がうらやましいよな。