無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10878日

 最近女房と同じ職場の女性が亡くなったらしい。まだ小さい子供もいるそうで、お気の毒なことだ。腕が痛い肩が痛いといって鎮痛剤を飲んでいたそうだが、何かの病気を持っていることには気が付かなかったようだ。死は誰にでも平等にやってくるし誰もそれから逃れる事はできないとはいえ、誰しも自分にはまだこないと思っているか、或は忘れているかどちらかだろうな。

 わしが初めて死を身近に感じたのは、17歳の時の祖父の死だったな。握りこぶし大の肺がんで、放射線治療でそれは消えたんだが、最後は脳に転移して亡くなった。わしはちょうど期末試験最終日だったので葬式には帰れなかったが、試験終了後大急ぎで帰省し、その夕方家に行った。もうほとんど人はいなかったな。線香だけあげてすぐに帰るつもりだったが、ご飯を食べて行けといわれて、わしはいやだったが、断りきれずに食べ終わったらもう8時を回っていた。

 田舎なので周囲は漆黒の闇だ。最寄りの駅迄行くのに墓の横を通らなければならないんだな。情けない話だが、わしはこれが恐ろしいので、まだ日があるうちに帰りたかったんだよ。右側が鬱蒼とした木々に囲まれた寺で、左側が墓場、周囲は田んぼ。遠くの方にぼうっと見える小さな灯りが新仏の、つまりじいさんの墓だ。「ゆうれいでも、会ってみたいなおじいちゃん」最近みた子供川柳だが、この心境にはほど遠い腰抜けだったな。死に対する恐怖心しかなかったよ。

 わしもじいさんの年に近づき、多くの人を見送ってきて、死に対して当時のような恐怖心もなくなった。特に13年前に女房の親父さんを10年前にわしのおふくろを見送って、なんかふっきれたね。それまでやはり親の死というものに恐怖はあったよ。考えられなかったな。けっこう動転したし、冷静にはなれなかった。しかし、2年前におやじを見送った時は冷静な自分にびっくりしたよ。94歳だからというのもあるのかもしれないが、ありがとう、ごくろうさまと落ち着いて見送る事ができたな。両親を見送り、これで責任を果たしたという安堵感もあったのかもしれないな。あと女房のおふくろさんを見送ったら次はいよいよわしの番がやってくる。さあ、あと10878日、もつかどうかだな。