無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10876日

 今日は久しぶりに良く晴れて洗濯日和だった。天気がいいと気分も晴れ晴れするな。64年生きていると、何度か不思議な偶然というのに出くわすことがあるもんだ。あれはわしが45歳のときだったが、初めての同窓会が卒業した学校のある瀬戸内の島の、海岸の丘の上にある小さなロッジでで行われた。九州や北海道からの参加者もあり盛況だった。一学年総勢でも80人ほどなのでこじんまりとしているが、わしはこの業界を離れているので、わしにとっては卒業以来初めての顔合わせだった。

 しかし、45歳というのは20歳のときと基本的には顔は変わっていないんだな。名前と顔が一致しないのはいなかった。これが60歳でやったときは、おたがい記憶力が落ちて来たことも関係あるのかもしれないが、おまえは誰だ?という会話がよく聞かれた。老化は等比級数的にあらわれるものかもしれんな。今回の話は45歳のときの同窓会での出来事だ。

 浴衣に着替えて宴会が始まり、酒もだいぶ回って来た頃、O君が隣にやってきた。O君は途中で進路を変えた関係で一緒に卒業してないので本当に久しぶりだったよ。しばらく話しているうちに、わしはO君の実家が床屋だったことを思い出したんだな。O君は床屋を継いでないというので、それは勿体ないなと、わしが子供の頃、家の近所の○○という床屋が儲かって、テレビを備えたのも地区では一番早かった話や、利口な犬を飼っていて、その犬が買い物かごを首からぶら下げて近所の肉屋に買い物に行っていた話をしたあと、オチとして、それでもそこの主人は女を作って駆け落ちしたという話をしたんだな。床屋はモテるということをいったんだが、O君、にこっと笑ってひと呼吸おくと、とんでもないことを言い出したんだな。

 「それ、おれの姉ちゃん。」わしは一瞬何の事かわからなかったな。うちの近所の○○という床屋の主人と一緒駆け落ちしたのがO君の姉さんだったんだと。これにはびっくりしたが、話はこれだけではない、これには続きがあるんだな。

 これは子供の頃田舎の伯父さんから、うちの部落に駆け落ちした床屋がやってきて、お宮の隣で店をしていたことがあったという話を聞いた事があった。その話を思い出して、わしはまさかと思ったが、O君に××でふたりで床屋をやってなかったかと聞いたら、今度はO君もおおいに驚いていたな。大当たりだったようだ。ここまで続くとちょっとした偶然ではすまないと思うがいかがかな。

その後O君とは会う機会がないが、元気でやっているかな。