無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10872日

 今日は女房が二男のところに泊まりに行ったので、1人で晩飯に親子丼を作って食べた。うまかったんだが、親子丼で1合飯を食べるのはちょっとしんどかったな。カレーなら食べられるのにどうしてなんだろうな。甘みのあるものはたくさんは食べないように体が無意識にコントロールしているにかもしれんな。今夜は2匹の犬と一緒に寝る事になるので、睡眠不足になりそうだ。

 わしが結婚した時、近所のおばさんに、「あんたもこれから子供ができたら、子供の心配をして、心配して、あんたが死ぬまで子供の心配するようになるんよ。」と言われた。大きくなってから聞いたんだが、わしのおふくろも子供が死ぬんじゃないかと心配したといっていた。お寺参りや、金光教の信仰も子供が元気に育つようにと願っていたのだろう。わしも親になって32年になり、3人の子供がそれぞれ家庭をもち、孫が3人あり、さらに来月1人、11月に1人増えることになる。それでも子供は心配なものだ。孫はかわいい、子供は心配、これは責任の度合いによるものなのかしらんが、すでに成人して、親になっても子供は子供で、わしら夫婦の会話も子供の話か、犬の話ぐらいしか思い付かんな。

 あすから娘が出産で帰ってくるので、掃除をして、座敷の神棚を別の部屋に移しておいた。座敷には娘や孫が寝るので、自由に祝詞をあげることができないからな。今日も暑い1日だったが、無事終わった。古事記を読んで、睡眠不足に備えて早めに寝る事にしよう。