無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10869日

 今週はずっと雨続きで、洗濯物が乾かないので苦労している。やんだら出し、降り出すとしまうの繰り返しだ。こんなことも一日家にいるからできることで、効率の悪い事この上ないな。日曜から出産に備えて娘夫婦と孫がうちに泊まって、今日で3日目になる。楽しいんだが、わしの4月からの生活のリズムはちょっと狂い気味かな。とはいえ、1ヶ月も続けて娘夫婦がうちにいることは、こんな機会でもなければない事なので、わしのリズムはしばらく横に置いとかんといかんな。

 座敷を娘夫婦に明け渡したので、神棚も座敷から小部屋に移し、神棚周辺も少し殺風景になったので、今日は榊を買って来て飾ったよ。幾分賑わってきたかな。あと一ヶ月ほどはこの生活が続くので、無理をしないように馴染んでいかんといかんな。

 わしは40年くらい前に本田親徳翁の存在を知り、いろいろ本を読んで、神道の鎮魂帰神が具体的にどのようなものかをおぼろげながらも知る事ができた。鎮魂帰神を行ったという静岡県の神神社にも行って参拝してきたこともある。たしかにこの人は晩年のことがよくわからないということはあったが、あまり多くはないとはいえ、弟子と言われる人たちもいるし、今だに本田霊学として伝えられているので本物だと思っていたよ。いや勿論本物かもしれないし、だいたいわしごときに詮索する資格などないんだが。3年ほど前に相曾誠治さんという人の本を読んだ時、この本田翁のことがあまりいいように書かれていなくてびっくりした事があるんだな。本田式鎮魂帰神も真っ向から否定している。相曾誠治さんも立派な方のようだし、ご存命ならすぐに会いに行くんだが、残念ながら亡くなられているので直接伺う事もできない。知るのが20年遅すぎた。ほんとうに残念だな。立派な人は今でも社会のどこかに目立たずひっそりと暮らしているんだろうが、探し出すのは至難の業だ。