無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10868日

 むかし、インド哲学をやっている知人がいて、その男は神道は幼稚な宗教だし、さらにいえば宗教ともいえないと話していたことを思い出した。たしかに仏教は様々な学問があり、理屈もいうし、小難しいし、わしから見ても学問としてやっているのか、宗教をやっているのかかわからないような人も多い。キリスト教も、イスラム教も同じで、難しそうだ。

 神道は宗教ではないといわれれば、わしもそう思うし、幼稚だといえばそういう面もあるかもしれない。なにをどのように勉強したらいいのかさっぱり見当がつかない。系統だった哲学もないし、祝詞古事記にしても、表面上の意味からはたいしたことは書かれてない。したがって仏教のように学問による達成感はとても得られそうに無い。

 わしは結局神道は人の生き様だと思うぞ。言葉にならない真理や頭で理解できない真理に畏敬の念をもち、祝詞を奏上し、感謝し、生活の中のあらゆるところに神様が宿り、常にお天道様に見られているという生き方、こういう生き方ができたら、いい人生が送れるんじゃないかと思うんだがな。これなら1人でできるだろう。神道に偉い先生もたくさんいるんだろうが、そこまでは望まんよ。