無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10865日

 今日は毎日の道を励行する以外は一日中昨日届いたスマートフォンS301で遊んだが、新しいおもちゃは幾ら遊んでも遊び疲れるということがないな。小学校の2年生のとき、おふくろにピストルのおもちゃを買ってもらったときのことを思い出したよ。近所の友達がリボルバーのおもちゃを親に買ってもらったのをみて、わしも欲しいと無理を言って買ってもらったものだ。日曜日におふくろと兄貴が町に行くついでに三越で買ってきてくれることになった。わしは二人が帰るのが待ち遠しくてその日は何度もバス停まででかけて、30分に一本くらいやって来るバスを待ち続けたものだ。大通りも今と違って、バスか、たまにオート三輪が走るくらいだったから、寂しかったな。

 先ほど陣痛の間隔がせばまったので娘が病院へでかけた。その後連絡があり、そのまま入院となったそうだ。二人目だから明日か明後日には生まれるんではないだろうかな。わしの二人目の子の時は簡単に生まれすぎて拍子抜けしたのを覚えている。女房の実家に帰っていて、朝方わしが病院まで連れていたんだが、まだ時間がかかるといわれて、わしはひとまず家に帰った。そして、さあもうひと眠りと思って布団にはいったとたん女房のおふくろさんから、うまれたよと電話がかかってきたんだな。こんなに簡単にうまれるんなら待っときゃよかったと後悔したよ。

 あれからもう30年たったが、おかげさまで子供ら3人とも元気に育ち、それぞれ家庭を持ちしっかりやってくれている。わしはそれだけで十分満足だな。ありがたいことだ。