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無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10861日

 今はSNSなんかで瞬時に短文で頻繁にやりとりできるようになり、まとまった文章を書いて相手に読んでもらうということがなくなった。いい面もあるんだろうがなんか味気ないし、思考能力も落ちてくるんじゃないかと心配だな。それと、友達関係がリセットされることなくいつまでもだらだらと続くことが、本当に人格形成にプラスになるのかこれも心配だな。昔は小中高と成長するにつれて交友関係もリセットされ、それぞれの段階で新しい友達ができて、過去の友人の多くは疎遠になる。これの繰り返しだったな。そして、ほんの少数の友人だけが残って一生つきあう事になるんだが、今は過去の友人全員が電話帳に残っているんだろう。わすれたいこともあるだろうに、わしは嫌だな。

 わしの若い頃は文通というのが主流で、女の子に一生懸命手紙を書いたもんだ。真剣だから辞書もひくし、文章も考える。何回も書き損じて徹夜になることもある。しかも返事がくるのは早くても一週間かかるんだから、今の若い人にはとても待てないだろうな。一週間以上返事が無いと郵便ポストに引っかかっているんじゃないかと友達にからかわれたりしたもんだ。これはメールとはひと味違うぞ。海外文通もやったな。オーストラリアが多かったが、これはただ単に料金が安かったからだ。だいたい2〜3回のやりとりで終わったが、当時は絶対会う事なんかないんだから、たぶん内容はいい加減だったんだろうな。第一たいした英語力もないんだからしかたがない。

 文通と言えば、これは今でも気になっているんだが、中学2年のときに友人に静岡県の鈴木みさ江あるいは美佐江さんという子を紹介してもらったことがある。ご健在ならば64か65のばあさんだ。何回か手紙のやり取りをしたんだが、面倒くさくなってわしは返事を書かなかったんだな。向こうから何回か送って来たが無視していたら、その友人がわしに「おまえはひどい奴だ。鈴木さんは泣いとったらしいぞ。」と責めるんだな。そうは言われても一番の原因は書く事が無いんだよな。コンテンツがないということだな。子供なんだから通り一遍の自己紹介でもしたらあとが続かないのはしょうがない。とはいえ、今でも覚えているという事は、悪い事をしたときびしく反省したんだろうと思うよ。まあ、半世紀も前のこんなこと覚えているのはわしだけだろうな。

明日は娘と赤ちゃんが退院して帰ってくるのでいそがしくなるぞ。

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