無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10860日

 わしが船乗りになったのは40年以上前のことだが、初めての航海は名古屋で乗船し、神戸〜香港〜シンガポール〜ラングーン〜チッタゴン〜チャルナ〜カルカッタだった。6000トンほどの重量物運搬船で、おもしろい航路ではあったが、人間関係はいまいちだったな。そして船乗りは長期出張を繰り返して一生終わるにすぎないという現実にやっと気が付いた。もっと早く気が付けよと思うかもしれないが、若者は一途になりやすいんだよ。船乗り生活をバラ色に考えていたんだな。

 それに船乗りの中での格差にもやっと気が付いた。学校ではどこの会社にいっても同じだといっていたが、そんなことはないぞということだ。つまり、船乗りも会社員にすぎないということだ。当時は日本郵船商船三井、ジャパンライン、川崎汽船山下新日本汽船、昭和海運が大手6社といわれ準大手の新和海運とか飯野海運とかの一部上場企業があり、さらに中小労に所属する中小の会社があったんだが、わしはおろかにも神戸でふらっと尋ねた、そのまた下の小さな海運会社にそのままはいってしまったんだな。新卒ではいるような会社ではなかった。

 当時わしにちょっとでも常識があれば、日本郵船の社員と、その日本郵船に船を数隻貸しているだけの末端の会社の社員が同じわけがないということに気が付きそうなもんだよな。そんなこともわからずに就職したんだからな。今の若者の方がよっぽどしっかりしている。結局半年でけんかしてやめたよ。若気の至りというやつで、今では迷惑をかけたとおおいに反省している。

 わしが自分で勝手に会社を決めたというのにも権威に対する一種の反抗があったんだな。今から思えばつまらんことだが、親類の代議士にこの業界に強いといわれている人がいて、伯父さんや親父が頼みにいったんだな。そんな人に頼まなくても大手に行こうと思えばいける成績だったのでわしは断ったんだが、あとから聞いた話だとその代議士はその場でジャパンラインの社長に電話して頼むと言ったらしい。確かに運輸業界に顔はきいたようだ。

 それを聞いてわしは何を偉そうに言っとんだと頭に来たね。若者ならこの気持ちわかるだろう。電話一本で人にレールを敷いてもらって、その上を走るなどということはがまんがならなかった。結局それで親とけんかになって自分で好き好んで神戸の会社にはいり、すぐに後悔したわけだ。

 その後40年たち、その代議士も、当時のジャパンライン社長も亡くなり、ジャパンラインそのものも消えてしまった。伯父さんも親父も亡くなった。その当時の関係者は誰もいない。わしの寿命もあと10860日かもしれない。こんなことは社会のどこにでもある、現れては消えて行く泡のひとつにすぎないんだろうが、泡に巻き込まれたひとりの人間にとってはそれだけではすまない、大きな影響をうけるんだよな。