無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10842日

 わしは昔の身の回りで起こったことをよく覚えているという事は既に書いたが、わしの兄貴はあまり信じてないんだな。というよりおそらく自分が全然覚えてないのがくやしくて仕方がないんだろう。

 松山商業のかつての夏大会の優勝投手に空谷という人がいた。中日に入って児玉と名前が変わっているが中日でも活躍したから覚えている人も多いだろうな。実はわしは空谷の優勝パレードをラジオで聞いた事を覚えていたんだな。中学生の頃にその事を話したら、兄貴は、おまえがそれを覚えているはずは無い。あれは昭和25年でおまえが生まれる前のことだと言い出したんだな。それからわしを馬鹿にするときには必ず「なにせ、こいつは生まれる前の話をしっとるからな。たいしたもんよのう(棒)。」とへらへら笑うようになった。わしも空谷が昭和25年なら、ひょっとしたら、その後の大会の優勝パレードと勘違いしたのかもしれんなと、ずっと思って来た。

 ところが、最近地元新聞で、昭和28年の愛媛国体のことが連載されているんだが、その中に高校野球に関する記事があって、それを読んでびっくりしたよ。そこには昭和28年夏の大会を制した空谷投手を擁する松山商業が参加したと書かれてあるではないか。なんと空谷は昭和25年夏ではなく昭和28年夏に優勝パレードをしていたんだな。だったら少なくとも生まれる前ではない。改めてネットで確認したらやはり昭和28年だった。兄貴の口からのでまかせに、わしはまんまと50年間騙されていたわけだ。今度会うたときにはきっちりオトシマエをつけてもらわんといかんな。なんと言い逃れをするか楽しみだが、案外この事自体を既に忘れているかもしれん。激務だったからな。