無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10840日

 出産後の娘がうちに来て昨日でちょうど1ヶ月になるが、夫婦二人だけの生活が長いので、やっぱり疲れるな。まだあと10日あるのでもう一踏ん張りだな。2歳の孫が近所のスーパーにある遊び場へ行きたいというので、10時から連れて行ったんだが、エラい目に会ったよ。お姫様になれる写真を撮ったり、風船で遊んだり、乗り物に乗ったり、機嫌良く遊んでいたんだが、もう終わりにしようかと言ったあたりから様子が変わって来た。うんともすんとも言わないし、お姫様になった写真や乗り物でもらったどきんちゃんカードを放り投げるし、勝手に1人であちこち歩き出すし、昼ご飯食べに行こうと言っても首を横に振るだけだ。いつまでもこんなことをしとく訳にもいかんので、抱えて車まで連れて行こうかとも考えたが、泣き叫ばれて、誘拐犯と間違われるたら目も当てられんからな。強情な子で弱ったよ。

 自分の子供のときは遠慮なくどやしあげたんだが、よく言われるように孫は難しい。わしなんか何をどういったらいいのかさっぱり見当がつかず、ぼーっと眺めているだけだが、その点やはり女房は凄いわな。正面からきちんと話をして、2歳半の子を説得している。何を言ったのか知らないが、家に帰る事には納得したようだ。それから家に着くまで二人とも一言も口をきかなかった。

 晩飯はわしが親子丼を作ってみんなで食べたんだが、そのときに孫が女房のそばに行ってなんかぼそっと言ってすぐに離れた。わしは何を言ったのかわからなかったんだが、娘と女房にはごめんなさいと聞こえたようだった。ちゃんと謝れてよかったねと娘が言ったら、孫は首を横に振っていた。強情だが、悪かったことはわかっているようで、この件はこれで一件落着ということになった。

 強情といえばわしも人の事は言えた柄じゃないんだな。小学校3年のとき、3人で道ばたに生えていた、小さなタケノコのような物を投げて遊びながら登校していた。途中でわしの投げたものが雑貨屋の店の中に飛び込んで、陳列棚のガラスに当たったんだな。すると、そこのおばさんがすごい剣幕で飛び出して来て、わしは厳しく問いつめられた。別にあんなもんが当たったってガラスになんの影響もある訳無いだろうに、そんなに怒る事でもないとは思うが、そこでわしが一言ごめんなさいと言えばそれで終わったはずだ。しかしこれが言えなかったんだな。家はどこだとか、学校にいうとか、ひととおり言ってしまうと、おばさんもばからしくなったとみえて店に帰っていったよ。それ以来3人の間では、ちょっと目が吊り上がっていたので、狐のばばあと呼ばれていた。

 それから10年ほどして、学校の夏休みで家に帰ったときに、おふくろが、前の○○さんの家に後妻さんがきたことを教えてくれた。次の朝、その人が家の前を掃除しているからわしも行って挨拶して来るようにいわれた。わしは気が進まなかったが、それでも行ってこいというので家の前まで行って、さあ挨拶をしようとその人と目が合った。その瞬間びっくりしたね。少し年をとったあの狐のばばあがそこに立っているではないか。向こうは当時こどもだったので、わしにことは覚えてないようだったな。あの狐のばばあが、うちの前に後妻にきたかと、わしは笑いをこらえるのに苦労したよ。そしてその日以来、狐のばばあという呼び名が封印されたことは言うまでもないかな。