無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10839日

 4月以降、社会との接点がほとんど無くなったので、以前よりも、心平穏に過ごせるようになったのはうれしいことだが、それでもたまに心の乱れが生じるのは、じつにくだらない、生活のひとこまからで、今日なんかもわしが40分ほど昼寝をしているあいだに、女房がわしが作る予定だった、大根とすじ肉の煮物を圧力鍋で作ってしまっていたんだな。これにはカチンときたね。わしは一眠りしてそれから始めようと思っていたんだが。女房とわしとでは時間の流れ方が違うのは既によくわかってはいるが、それを押し付けられたような気がして嫌な感じだったな。実際は作ってもらって、こちらは楽ができたんだが、ほんとに小さな自分が嫌になるよ。

 おそらくあと10839日こんなくだらんことで一喜一憂しながら社会の片隅で暮らしていくことになるんだろう。先週木曜日にことし初めてくまぜみが鳴いたことに気が付いたんだが、こんなのとは今まで気に留めることも無かった。朝、家の前を通る中学生や小学生の声を聞くのも楽しいし、午後4時過ぎからは帰宅の子供らが友達と大声で話しながら帰っているのを見ていても楽しい。こういう世界があることに今まで気が付かなかったんだな。たまには女房に腹を立てたりしながら、自分の周りにあるものを素直に見ていけるようになれば、また新しい自分が見えてくるような気がするな。