無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10838日

 朝起きて布団を上げて縁側から庭を除くと、白い石の上に猫の糞が落ちていた。最近黒猫の親子がよく来てくつろいでいるので、何回かはお引き取り願ったんだが、これ見よがしに糞を置いていくとはもっと厳しく対処せんといかんな。この糞だがよく見るとたくさんの蟻がたかって運び出しているようで、夕方には半分くらいの大きさになっていた。残った物の中には消化できない昆虫のようなものがまざっていたが、さすが野良猫は何でも食べるんだな。

 この界隈の黒の野良猫はかれこれ十年以上前から住み着いている。野良猫の寿命から考えても代替わりはしているはずだが、おそらく同じ血統だろう。おふくろは肺ガンで余命3ヶ月といわれて8ヶ月ほど生きたんだが、その頃初代の大きな黒猫が駐車場で子供を産んだり庭に糞をしたりして面倒くさい事がいろいろあった。11月におふくろが亡くなってその少し後だと思うが、隣との境のブロック塀の上にその猫が座っていた。座っているというよりも伏せているような感じだったな。次の日に見た時はうちの敷地の中で横になっていた。変に思ってしばらく見ていてが、ぴくりとも動かないので近づいてみると死んでいたんだな。

 死ぬんなら塀の向こう側で死んでくれよと思ったが、死に場所としてうちの方を選んだんだとしたら、なんかかわいそうになってきたんだな。わしはここに埋めてやろうと思った。こういう場合伝染病の恐れがあるので市役所に連絡するべきかとも考えたが、そういう情報も回って来てないので、物置からスコップを持って来て深さ1mほどの穴を掘って埋葬した。土を掛けるときに、しんどかったなあ、これで楽になれたなあと声をかけて煮干しと牛乳を供えてやった。

 そんなこともあったなあ。