無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10834日

 昨夜古事記神代巻を13回読み終わった。これだけ読むとだいたい何処に何が書いてあるということはわかってきたな。読んでいても意味がわからんところも多いが、あまり考えないようにしている。現代の常識をもとにして理解しようとしても、無理な事はわかっているからな。何も考えず、ただひたすら声に出して読む事の繰り返しだ。あと87回だが、楽しみだな。

 むかし知り合いが、阿含宗とかいう宗教の信者になり、千座行だったかな?千日その行を続ければ因縁が切れると言っていたが、その男はなんとそれをほんとうに千日続けたんだな。それはそれですごいことだが、結果何も変わらんと言っとった。そりゃ、それをやったからといって、終わったとたん自分や周囲がガラリと様変わりするわけないだろう。あたりまえだ。わしら凡人には、しょせん今日は昨日の延長だよな。

 わしの古事記神代巻100回読破もそれと同じ事かもしれんが、別にわしは何かを達成するために読んでいるのではないし、読んだら何かが変わるなどと、たわけたことを考えているわけでもない。相曾誠治氏が古事記神代巻を読む事を勧めていたので、ただひたすら読んでいるだけだが、それでも読んでいると、ここにこんなことが書いてあったのかと改めて気が付く事も多々ある。100回読めるかどうかはわからんが、とにかく11月3日、65歳まで読み続けるつもりだ。