無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10831日

 娘一家も明後日には自宅に帰ることになり、ちょっとほっとしている。今年1月に長男嫁出産後、息子一家が20日ほどいたときに比べると、気は楽なんだが、先月の19日からだから40日あまりになり、ちょっと長かったんだな。自宅に帰ってから大変だろうとそのほうが気にかかるな。

 8月から自由になるので、そろそろ神社神宮参拝の旅にでようかと考えているんだが、この話をすると女房はあまりいい顔をしなかったな。しかし、これは生き方の問題であり、夫婦といえどもそれぞれが個人としては別個に生きているんだから、お互いとやかくいうのはおかしいぞ、てなことを言ってやったんだが、ますます不機嫌になった。処置無しというところでやめておいたが、女房を怒らしては元も子もないので、多分8月は無理だろうな。

 去年の3月に青春18切符諏訪大社、能褒野の日本武尊陵、石上神宮、山辺の道、大神神社等に参拝祝詞奏上を行ってきたが、山辺の道をもう一度歩いてみたいんだな。この時は、18時に姫路で、40年ぶりに友人に会う約束をしていたので、気が急いて、ただひたすら昼飯も食べずに歩いただけだった。今度は一日かけて途中の神社、天皇陵などにもゆっくり立ち寄りたいと思っているんだが、女房次第だな。

 能褒野の陵は相曾誠治氏の本にでてきて、わしも初めて知ったんだが、わざわざ尋ねる人はそうはいないだろうが、本に書いてあったとおり、伝説に相応しい良いところだった。今にも白鳥が飛んで行くんじゃなかろうかとしばらく眺めていたよ。