無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10825日

 障害者差別解消法というのができて、法律によって差別をなくそうということになったらしい。まあこれはこれでいいのかもしれんが、差別と感じるかどうかは個人差があるし、何気なく言ったことや、やったことが、突然それは差別だと居丈高に責められて、謝罪させられるといった光景を思い浮かべるのはわしだけではないだろうな。べつに障害者に限ったことではないが、最近やたら権利を主張して、だめなら裁判で決着ということが多いような気がするな。

 この一環としてだろうが、知的障害者が大学に入れないのは差別だと言う人たちがいるそうだが、身体障害者なら設備を整えれば可能だろうが、知的障害者はどうなんだろうな。わしも詳しくは知らんが、知的障害にも程度がいろいろあって、大学レベルの授業についていける状態の人たちがいるということを言っているんだろうかな。もしそうなら、入学試験を受けて入ればいいだけで、門戸はすでに開かれていると思うんだが。

 あれはわしが高校一年の時だった。わしの高校は木造校舎が散らばっていて、授業を受ける教室に移動するのに時間がかかったし、渡り廊下は屋根があるだけで吹きさらしで、雨が降ればびしょびしょに濡れていた。そんなある雨の日の午後だったが、わしらも足下を濡らしながら急いで次の教室に移動していた。すると前方から右手でカバンをもっていざりながらこちらへやってくる人がいたんだな。わしはこれにはびっくりしたね。雨に濡れた渡り廊下を、足もズボンも泥だらけになって、1人で教室の移動をしていたんだな。誰も助けないのかと思って、他の3年生を見ても誰も手を貸そうとはしてなかった。わしも圧倒されて見送るだけで何もできなかったな。

 家に帰ってわしはこの話をおふくろにしたところ、おふくろは知っていたんだな。その子は入学のときに、試験はできたんだが、学校は入学を認めなかった。あの当時では普通は無理だろうな。しかし、両親と本人が、一切学校にも他の生徒にも迷惑をかけないし、自分でできることは全部自分でやるということを約束して、入学を認めてもらったんだそうだ。わしらには想像もつかない、ものすごい覚悟をして、普通高校に進学したんだろう。こういう人は法律があろうが無かろうが、びくともしないだろうなと思うよ。こういう時代もあったんだな。