無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10818日

 人は死に臨むが一大事にて其の時の心の置き方によりて、死後に霊魂の鋭と鈍との差別及び行く先の尊卑もあるなり。とは異境備忘録にでてくる文章なんだが、さらっと書いてあるが、心の置き方といわれてもあまりにも漠然としていて何のことかわからない。死に臨むとは意識を持って死ぬ瞬間のことなのか。意識をもって死ななければならないのか。またこうも書いてある。人間たるものは、長命にして此の世にあるのが第一の徳なり。つまり、この世で長生きするのが一番だということらしいが、ほんとうにそれだけなんだろうか。ただ長生きだけしても、それが第一の徳といえるのかどうか、疑問はつきないところだ。

 この本はわしらが読んでも、すぐにわかる本ではないことは理解しているつもりだ。以前竹下総理は、日本語の発音はきちんとしているが、言っていることの意味が分からないということで、言語明瞭意味不明瞭といわれていたが、まさにそんな感じなんだな。これが異境備忘録ではなく、そこらあたりの人生howto本などに書かれてあったのなら、ふんふんと理解したつもりで、読み飛ばしてしまうんだろうな。

 結局わしが知りたいのもこれなんだな。如何に寿命を全うすべきか。そして死に臨むときに慌てず、恐れず、従容としてそれを迎えることができるのか。心の置き方にはこういうことも含まれているんだろうか。それともこういうことではなく、もっと本質的なことなのか。何もわからない。まあ焦らずに、人間たるものは、長命にして此の世にあるのが第一の徳なりとも書かれてあるので、あと10818日、自分なりに努力を続けるしかないんだろうな。何かが理解できればよし、できなくてもそれもよし。