無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10817日

 午前中墓の掃除に行って来た。車で30分くらいの所にあり、静かで便利は良いところにある。墓というのもなかなか面倒なものだ。親父が墓を作ったのは昭和49年秋だから、53歳のときだな。ちょうど寺の改築があり、それに結構寄付もしたようで、檀家総代をしていた伯父の口利きで墓地にスペースをもらったものらしい。そこに2つ分の土台を作り、その一方に墓石を建てて自分たちと、その後を継ぐ兄らが入る予定にしていた。その横には土台だけで墓石の無いのがあり、そこにわしが自分でわしら夫婦の墓石を建てることになっていた。いわゆる分家だな。

 しかし思い通りにはいかないもので、その後兄夫婦には子供ができなかったんだな。そうなると将来墓を守りしていくのはうちの子供しかいないことになり、親父の墓、つまり本家だが、そこは兄夫婦のあと入るものがいなくなってしまうんだな。そんなこともあって、10年、20年たつうちに、わしに自分の墓を作れとは言わなくなったな。

 実際のところ、兄貴らはずっと転勤族で、その後も関東地方に住んでいるし、わしら夫婦が親と一緒に住んでいるんだから必然的に所謂跡継ぎということになるんだろうということは暗黙の了解だったはずだが、親としては兄夫婦になんか遠慮があったようで、墓の話しはしてなかったようだ。

 うちの子供らが大きくなり、わしらが後を継ぐことしか選択肢がなくなったころになると、親父が、兄夫婦もうちの墓に入るようにして、墓を1つにまとめるほうがいいんじゃないかと言い出した。兄夫婦に聞いてもそうしてほしいというので、そうすることにしたんだが、金もかかることだし、そのままにしていた。

 そのうちにおふくろが亡くなり、その墓に入り、それから9年して親父が入ることになるんだが、親父がもう長くないだろうと言われたころに、わしら兄弟は墓のことがきになっていたんだな。そして親父も1つにしたいという希望もあったし、親父が新しい墓にはいれるように、死ぬまでにやろうということになった。親父も少し預金があったので、親父のために使うんだからいいだろうと、それをおろして250万円ほどかけて、1つの墓にまとめた。墓石は以前からあった庵治石で土台部分は大島石を使ったが、まあまあ立派な墓ができた。おそらく親父も新しい墓には満足してくれただろうな。あと10817日したらわしも入るのでよろしく。

きょうは墓の物語だったな。