無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10814日

 始まったころはほとんど見なかったんだが、日本選手の活躍が話題になってくると、ちょっと見てみようかと思うようになる。それが呼び水になり、怒濤の夜更かしが始まるかと思いきや、やはり年をとったということかどうか、遅くても11時過ぎまでで、それを過ぎると怒濤の睡魔に襲われてノックアウトされてしまう。年は取りたくないもんだとつくづく思うよ。しかし、オリンピックと名がつくものを10回以上経験しているが、わしら世代にとって、オリンピックと呼べるのはあの東京オリンピックだけだろうな。

 昭和39年の東京オリンピックのときは休みに日は朝から晩までテレビを見ていたし、学校でも日本選手が勝っているときなど授業中でも見せてもらえた。重量挙げなんかはジャーク、スナッチ、プレスと、前の日にみた三宅選手なんかの真似をして大騒ぎをしていたな。銅メダルだった一ノ関選手なんかも人気があった。あの頃は外国人がめずらしいので、誰を見ても美人に見えたもんだった。わしは東ドイツ飛び込みのエンゲルクレーマーという選手が一番だと思ったんだが、わしの周囲ではあまり話題にならなかったな。あの頃は映像情報はテレビで見るか、週刊や月刊の雑誌を貸本屋で借りて見るしか方法が無く、テレビは白黒で画質も悪いので、夜目遠目傘のうちというのか、誰でも美人に見えてしまうんだな。それで結局は雑誌掲載の写真をみるまでわからないというのがほんとうのところだったので、真実を知るのにタイムラグがあったんだな。

 柔道の神永、猪熊、レスリングのアニマル渡辺、体操の小野、水泳の山中、いろいろ思い出すが、やはり一番心に残っているのは、後に悲劇的な最期をとげたマラソンの円谷幸吉選手だな。自衛隊のがんばり男といわれて国立競技場でのイギリスのヒートリーとのデッドヒートは今でも熱く思い出すな。4年後に遺書を残して自殺したんだが、悲しい遺書だった。わしは高校1年だったが、この事件はショックだったな。周囲の期待が追いつめたのか、いろいろ言われているが、本人にしかわからないことがあったんだろう。もう走らなくていいんだよ言ってあげる人がいなかったんかな。人々の記憶には残っているが、そんなことよりも天寿を全うして欲しかった。