無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10812日

 おうち忘れた小雲雀は広い畑の麦の中、母さん尋ねてないたけど、風に穂麦がなるばかり..................これはおうち忘れてという歌らしいが、題名はつい最近まで知らなかった。たぶんわしが幼稚園児だったころのことだと思うが、うちに一冊の絵本があり、其の中の1ページに、畑の中に寂しそうに佇んでいる小雲雀の絵と其の上に歌詞が書かれてあった。おそらくこの絵本は近所に住んでいた聾学校の先生から借りて来たんだろうと思う。そこにはわしより1つ上と3つ上の兄弟がおり、ときどき絵本を見せてもらっていた。その兄弟の兄の方はなかなか几帳面で、本箱の中で、その本のあった場所を覚えていて、読んだあと元あった場所に戻さないと家に帰してくれなかった。これにはまいったな。

 朝ご飯のときに、わしがその本を読んでいたのか、あるいは親父が一緒にいたから読んでもらっていたのか忘れたが、そのときの部屋のシーンがなぜか忘れられないんだな。狭い三畳の部屋に兄が使っていた勉強机があり、其の横にあるちゃぶ台には卵かけご飯があったような気がする。わしはその雲雀の子がもすごくかわいそうだったんだな。ごはん食べよといわれてもじっと眺めていた。親がいなくなったらこの雲雀は死んでしまうんじゃないか。そしてわしもこの雲雀のように親がいなくなったらどうなってしまうんだろうと、とてつもなく大きな不安に襲われたんだな。

 記憶はここまでで、これをどうやって解決したのかは覚えていないが、おそらく、おふくろに「この雲雀どうなったん。」としつこく聞くので、おふくろも返事に困って嘘も方便ということで、雲雀の親は必ず子供を見つけ出すことができるので心配いらないよとか、適当なことを言ってごまかしたんだろうな。

 子供の時のわしにとって、いま親が死んだら自分はどうなるのかという不安は結構大きな問題だったな。近所に小さな墓地があったんだが、其の前を通るたびに、親が先に死んだら、わしがあの世に行ったときにそこで会えるんだろうかとか、わしが行くのが遅れると、親はもう一段階上のあの世に行ってしまい、あの世でも会えなくなるんじゃないかとか、いろいろ考えていたのを覚えている。大人になるとこんなことは忘れてしまって、子供は天真爛漫だとか、希望をもって生きているとか、純粋だとか、勝手なレッテル張りをして、かえって子供を苦しめるていることが多いんじゃないかな。

 わしがこれらの不安から解放されたのは成長して、自分でやっていける目処がついた20歳の頃だったかな。ここまできたらもう大丈夫だと安心したのをはっきり覚えている。