無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10808日

 わしが幼稚園の時の、夏休みのお絵描き帳が、ついこの間まで家にあった。画用紙を綴じただけの、先生の手作りのような質素なものだが、そこにはほぼ全ページにわたって、わしの描いた驚くべき作品が残されていたな。今でも親父の遺品を探したらどこかにあるはずだ。まだ戦後12年しかたってないから、そんなに珍しくなかったのかもしれんが、今、あんな絵を描く子供がいるとしたら、国策で反日やっている朝鮮半島かチャイナくらいだろうな。

 どんな絵かというとだな、まさにピカソゲルニカ状態で、爆弾を落としまくるB29の編隊、サーチライト、機体には誰に教えてもらったか、ご丁寧にB−29と書いているんだな。5歳の子に無差別爆撃をお絵描き帳に描かれたら、先生も言葉が無かっただろう。これは小学2年だった兄と遊びがら一緒に描いたと記憶しているが、おそらく日常生活の中で空襲や、戦争の話がよく話題になっていたんだろうな。周りをみてもほとんどの大人は元皇軍兵士で、わしの小学校の教師なんかも、マイクなんか無くても号令はぴりっと引き締まっていたな。当時はそれが普通だと思っていた。

 一方、うちの近所にある中学校で、運動会シーズンになると体育教師の締まりのない怒鳴り声がスピーカーとおして近所にばらまかれるんだが、きたない言葉で生徒をののしるのは、聞いていて見苦しいな。あれで本人は結構悦に入っているんだろうが、いったいどんな育ち方をしてきたのかね。