無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10804日

 前の職場の労働組合からのお誘いで、夏恒例のビアガーデン飲み会に参加して来た。わしは基本的に左巻きは受け付けないので、イデオロギーに毒された労働組合などという物には興味はない。しかし前の職場の労働組合はじつはわしらが作ったもので、わしが初代書記長、二代目委員長をしたことがある。その後も何回か委員長をやらされた。組合規約はわしが書いたもので、今でも使われているはずだ。

 バカと鋏は使い用で切れるとよく言われるが、労働組合も同じで、純粋に職場環境を改善するために使えば、これが結構役に立つんだな。ただイデオロギーに染まった上部団体との関連で、うっとうしい話を聞いたり、新聞を勧められたりするが、話は右から左に筒抜けにして、適当にお茶を濁していただけだった。上部団体は情報を得るために利用していたが、ネット社会になると、インターネットを通して情報が取れるので、だんだんと上部団体も必要なくなってきたな。

 組合が無いときは、職場の中で、何かを変えたいと思っても、直接トップに言わずにまず自分を通せと、課長なんて言う末端管理職が高飛車に言っていたが、言っても何も改善されなかった。しかし、組合を作ってトップに団交を申し込んだらすぐに解決したことが何回もあった。結局現場の課長なんてものは何の力も無いし、何もしてなかったということがよくわかった。

 昔話やら、身の上話、子供の話、孫の話等さんざん盛り上がった、この年に1回の組合同窓会は、また来年会いましょうということでお開きとなった。たまには人と会って話をするのも楽しいもんだな。