無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10803日

 最近ラジオを大量に並べて売っている店というのは見たことが無いが、昭和40年代前半の電気屋ではトランジスタラジオは花形だった。わしは昭和43年に学校の寮に入ったんだが、トランジスタラジオを持ってきている者はほとんどいなかったな。入学した頃は、一年生は娯楽室入室禁止とかいうことで、寮に一台しか無いテレビをみることができなかった。娯楽室といったところで20畳敷くらいの広さで、テレビが一台鎮座していただけの殺風景なものだったがな。

 そんなわけでわしらは世間の情報から隔離されたのんびりした生活をおくっていたわけだが、そんなある日のこと、食堂で昼飯を食っていると、娯楽室から歓声があがっているのがきこえたんだな。聞き耳をたてていると、これはすごいとか、見たこと無いとか言っているように聞こえた。メキシコオリンピックが行われていることは知っていたので、それに違いないと思ったわしは、入り口あたりで見ていた上級生の肩越しにのぞいてみたんだな。ちょうど走り高跳びでフォスベリーが背面跳びをきめた瞬間だったようだが、前の頭が邪魔になって、残念ながらわしにはよく見えなかった。

 オリンピックくらい見なくてもどうということはなかったが、一学期も終わりに近づいた頃、何かの授業中に教官からロバートケネディが暗殺されたということを聞いたんだな。しかし情報が入ってこないわしらにはなんのことかよくわからなかった。このことがあって、さすがにわしもこの情報過疎はまずいだろうと思うようになった。そこで夏休みに帰省したときに親にラジオを買ってくれと頼んだよ。大学に行っていた兄貴も欲しいというので、おふくろと三人でラジオを買いに出かけたんだな。

 当時地裁の前の角のところにS電業という建物があった。そこの一階にラジオ売り場があり、所狭しと並べてあった。いろいろ見て歩いた結果わしはソニーソリッドステートイレブン¥15000、兄貴は三菱ハイキャッチ¥8000円というのを買ってもらった。大卒初任給が2〜3万円のころだから、結構高かったんだな。三菱ハイキャッチは兄貴が大学を卒業する時にはなかったから多分壊れたんだろう。しかしわしのソニーソリッドステートイレブンはバリコンを回すと少し雑音が入るが、今だに健在でよく聞こえるし、いい音だ。半世紀たっても使えるトランジスタラジオを作っていたあのソニーの今の凋落ぶりを誰が想像できたかな。時の流れは容赦ないな。

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