無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10802日

 自転車に乗れるようになるということは、子供に取っては世界が大きく開けるということでもある。わしが突然自転車に乗れたのは小学1年の時のある日曜日の午前中だったな。家の前で親父に後ろを持ってもらいながら練習をしていたんだが、なかなかうまく乗れなかった。そのうちに親父も家に入ってしまって、その後は1人で練習をしていた。すると何回か失敗したあとで、何かの拍子に突然5mほど倒れずに乗れたんだな。傾いた方向にハンドルを切ればいいんだと兄にも親父にも言われたんだが、意味がよくわからなかった。小学生のわしは、傾いた方にハンドルを切ればもっと傾くだろうと思っていたんだが、この瞬間小刻みに左右にハンドルを動かすということが理解できたんだな。それを体得すればしめたもので、すぐに距離は10m、20mと伸びていった。

 わしはすぐに親父を呼びに行ったね。親父の前で乗ってみせた後、近くのK中学校まで行ってみることにした。校庭で乗ろうと思ったんだろうな。当時の中学校は近所の子供らの遊び場で、凧揚げやセミ採り、三角ベースの野球等何にでも自由に使わせてもらっていた。使用禁止といいだしたのはわしが小学校5年生くらいの時からだな。そのK中学校まで自転車で行って、ふらふらしながら、難関だった狭い通用門をうまいことくぐりぬけた。そのまままっすぐ50mほど行ったら広い校庭があるんだが、其の途中は地面にばらすがしいてあったんだな。それに乗り上げたもんだから車輪をとられてコントロールできなくなり、自転車はわしの意志に反して右へ右へ進んで行った。

 わしもそこで自転車を倒せばよかったんだが、あれよあれよという間に校舎に激突してしまった。それもうまいこと雨水を落とすパイプと校舎の壁との間のわずかの隙間に前輪が挟まってしまった。わしはあわててはずそうとしたが、子供の力では如何ともし難いので結局親父を呼びに行ったよ。

 思えばこれがその後の長い自転車人生の始まりだったな。幸い大きな怪我をすることもなくこの年まで生きて来た。予定通りだと、あと10802日だが、だんだん自転車にも乗らなくなったな。