無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10800日

 最近、朝起きても以前のようにさあ今日もやるぞという意識にならない。士気が落ちて来たというか、さまざまな雑音が頭の中にわき上がってくるんだな。掃除も手早くなって、意識するまでもなく、いつの間にか終わってしまうというようになり、達成感は少なくなった。これは掃除を道にまで高めるために通り過ぎなければならない1つの過程なんだろうかな。或はこんなことを考えること自体が雑音なのか。わしには判断できんが、或はその判断をしようとするわしの存在自体が雑音なのか。まあ、とにかくわからんことはわからん事として、あと10800日、黙って続けてみるしかないな。4ヶ月で雑巾一枚つぶしたから、あと90枚程必要だな。

 わしの家族が今の場所に住みはじめたのは、わしが産まれてすぐで、兄貴が2歳のときらしい。まだ田んぼや畑があり、うちの一本向こうの道路端に夜泣きうどんの元締めがあり、夕方になると、屋台が十数台並んで、七輪で火を起こしたりして仕事の準備をしていた。兄貴は夕方になるとそこに行って屋台の柄に下げてある鈴をチリーンチリーンと鳴らして回っていたらしい。当時の写真を見ても、兄貴はかわいらしかったので、また来たかくらいで怒る人もいなかったんだろうな。入れ墨をいれたちょっと怖いおいちゃん達だったがな。

 このちょっと怖いおいちゃんが本当に怒ったらどうなるか、わしは一度だけ体験した事があった。屋台のおいちゃんの息子で、たしか片山君といったと思うが、わしと小学校1年松組で一緒だった。帰りの方角も同じなので時々一緒に帰っていたんだが、その日も昼過ぎに、他のクラスの子等と石を投げて遊びながら、川沿いの道を歩いていた。するとある子の投げた石が片山君の頭に当たったんだな。片山君の頭からは血が出て大声で泣き出した。それを見てその子は一目散に逃げて行ったよ。わしらは片山君を抱きかかえるようにして屋台のところまで連れて行ってお父さんに事情を話した。

 石を当てた本人が来て謝っとけばそれですんだんだろうが、来てないとわかると、誰がやったかと聞かれたので、誰かが名前を教えていた。するとその子の家を知っとるかと聞かれた。誰かがうなずくとそこに連れて行けというんだな。わしらはすでに十分恐ろしかったんだが、ぞろぞろとおいちゃんを案内してその子の家に向かった。行ってみるとその子の家は、よその家の庭の片隅に、借りているんだろうが、納屋のような感じの一間と台所だけの家だった。おいちゃんが大声で呼ぶと中からおばあさんが出て来た。おばあさんはすでに事情を聞いているようで、腰も折れそうになるほど曲げて、すみませんすみませんと何回も謝っていた。入れ墨を入れた大男が、一体どうしてくれるんだと怒鳴り込んできたらそりゃ誰でも怖いわな。ましてや小さなおばあさんだからよっぽど怖かっただろうな。

 しかしこのおいちゃんも言う事だけ言ったらすぐに引き上げた。その後どうなったかは知らんが、あの時のおばあさんはほんとに気の毒だったし、あれだけ怒った大人を見たのは初めてだったな。

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