無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10798日

 台風10号の影響か、気温が下がり先週までのあの暑さは感じなくなったな。ここ2晩はエアコン無しで寝ている。今もエアコンは使ってないが、風が吹いて来ると涼しい。これで64回目の夏も終わって行くんだな。今年はクマゼミもあまり鳴かなかったようだが、わしはほとんど家から出なかったので、外の世界とのつながりは希薄だったな。ネットでは世界につながっているんだが。

 うちの前に建っている家は築五十数年という古い建物なんだが、聞くところによると、宮大工が建てたもので、釘と筋交いは使ってないらしい。釘はともかく筋交いが無いというのには驚いたね。この辺りでも7〜8年前に震度5弱の地震があって、その家も多少ひびは入っていたが、異常なかったというから、きちんと建てられているんだろう。今の建築基準では認められないらしいけどな。親は二人とも亡くなって、東京に住んでいる長男が年に何回か帰って来て、庭の剪定や掃除なんかをやっている。わしより5〜6歳年上だと思うんだが、ケーブルテレビをひいて、ネットも使えるようにしたと話していた。短期間とはいえ、やはりネット無しの生活は困難なようだ。

 インターネット以前に何をやっていたのか、今ではあまり思い出す事もできないが、確実に減ったのがテレビを見る時間と読書の時間だな。わしも毎日3時間くらいはネットをみているが、以前なら特派員やら通信社経由のニュースを、新聞やテレビでみることしかできなかったが、今ではそんな人たちに解説してもらわなくても、直に世界中のソースに当たれるんだから、世論の誘導ができなくなったメディアや旧マスコミ連中は大変だろうな。一般人が同じ武器を手に入れた以上、すでに特権階級ではなく、なくてもいい存在にまで落ちて行くのも時間の問題だろうな。