無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10797日

 ゆうべは四国遍路逆うちしているO君と、船会社を退職した当地出身のM君からのさそいで、夕方からのみに行って来た。40年ぶりだな。O君はTタンカー同期で一緒に入社研修をした。二人とも定年まで船乗りだったが、はなしを聞くと陸上勤務、出向、早期退職などで、船乗りを続けられた者はそんなに多くないらしい。フィリピン人やインドネシア人、ベトナム人との混乗で、英語ができるというだけで優秀といわれるいびつな社会でもあるようだ。英語ができたら優秀て、英語ができる馬鹿もいっぱいいるけどな。言葉なんて言うものは手段であって、何をするかが問題なんだろうが、切羽詰まった現場ではそんなことも言っとれんのもしれんな。

 JGで船舶検査の役人になったKというやつがいて、そいつが判子を押すかどうか権限をもっているので逆らえんとか、同じようなことをやっているNKの担当者とJGのKがけんかしたとか、程度の低い話をかなりきかされたな。わしはこの業界とは全く関係ないので、Kなんかどつき飛ばしたれ、と無責任なことを言っとったが、昔も今も変らない、少なくともあまりスマートな社会とはいえないようだな。

 久しぶりの楽しい酒だったが、1時までのみ続けたにもかかわらず、ぜんそくは全くでなかった。のみすぎるとかえってでないのかもしれんな。