無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10790日

 天罰とはいえ、命だけは助けてもらえたわしは、入院3週間と言われていたところを、2週間で退院させてもらって、アパートに帰ったんだが、7月だったので暑いのと風呂が無いのとで、帰って来た事をすぐに後悔したな。それから2週間程部屋で養生して仕事に復帰することができた。

 宗教を真剣に体験してみようと思い、わしはすぐに東京のM市にあった某教団を尋ねてみた。ここの教祖はわしの伯父と小学校、旧制中学の同級生で、話は聞いたことがあった。今のようにgooglemapがある訳ではないから、小田急線の最寄りの駅を降りてバスに乗り換えて行くのは、暑い中時間もかかり、病み上がりには結構堪えたな。

 時間はかかったが、なんとか辿り着いてみると、普通の家だったな。鳥居はあったかな。玄関で名乗ると、奥の方から60歳代の後半くらいにみえる、恰幅の良い老人がでてきて案内してくれた。座敷で座卓をはさんで向かい合って座るとお盆にあった木の実を食べるように勧められた。わしはべつに食べたくもなかったんだが、勧められるままに1つ2つ食べて、教祖はこういう自然食品を食べるのかと、妙に感心したのを覚えている。

 伯父の話など当たり障りの無いことを話した後、わしが病気で入院していた事を話したんだが、それを聞いて、どうやら先方はその病気を直してほしいという、所謂病気直しの依頼に来たと勘違いしたようで、ちょっとがっかりした様子だったな。わしはそれはすぐに否定して、宗教の話を聞きに来たということを告げると、安心したようにいろいろ話してくれた。大連神社で神の啓示があったことや四国の山中で修行した事、大蛇がでてきたこと、世界各地に霊場を作る使命もあるようだったな。その頃、わしは東京の仕事をやめて田舎に帰ることになっていたので、帰り際にその話をすると、自分の家もわしの伯父さんの家の近所にあるので、連絡するから帰ったら一度尋ねてくるように言われた。

 実はわしはその日会うまで、キリスト教系だと思っていたんで、ちょっとびっくりしたんだが、今から思えば、この出合がわしと神道との接点となり、その後30年に渡って、心のよりどころとなってきたのだから、ありがたい出合だったといえるだろうな。ただこの教団とは2年くらいで完全に離れてしまうんだが、それはまた後日という事で。