無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10788日

 今朝10時前に娘と孫二人が来た。旦那が休日出勤していないので、うちに溜まっている、子供の頃からの荷物の整理に来たんだが、量が多いので一日では整理しきれなかった。おそらく世間の親は誰でも経験があるんだろうが、子供がだんだん大きくなるに連れて、最初はすかすかに空いていた空間がしだいに荷物で埋まっていく。そして県外の大学に行く時はそれはそのまま置いといて、向こうで新しいものを買い、卒業する時にそれらをすべて実家に送り返す。これにより実家の中は荷物があふれるということになるんだな。うちはそれを三人の子供がやったもんだから、二部屋が完全に倉庫状態になっている。

 これらの整理は本人にやってもらわないとできないので、やるように言ってはいるんだが、結局、自分で家を持たない限り、転勤で異動している身ではどうしようもないわな。わしらも当分無理だと半分あきらめていたんだが、今度娘夫婦が家を新築することになり、これはチャンスと娘に催促していたんだな。10月初旬に引き渡しがきまり、娘もやっと本気になり整理にきたというわけだ。

 そこで問題になるのが、誰のものか確定していない、各種フィギュア類なんだが、ひょっとしたら値打ちがでるかもしれないと、子供三人とも皮算用しているらしいんだな。近所の酒屋さんが、景品とか商売の関係で扱っていて、残ったものをたくさんうちの子供等にくれたもので、とくに中を確認する事も無く、20年程新品未使用の状態で保管してある。娘も今日来るなり、ペコちゃん人形はどこにあるか女房に聞いとったな。あれは自分がもらったと言い張っとるが、長男も二男も同じ事を言っとったような気がする。さあどうなることやら。子供等には、ないとは思うが、万が一値打ちのあるものがあったら、売った利益は酒屋のおばちゃんにも分けてあげんといかんぞ、と厳しく言ってはいるんだがな。

 やはり今日1日では終わらずに、また来週日曜日に来るといって、晩ご飯には、わしの作った大根とすじ肉の煮物、しめじと肉団子のみそ汁、とりのから揚げを食べて帰っていった。煮物もみそ汁もおししいと好評だったな。