無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10784日

 堀江謙一氏が小型ヨットマーメイドで太平洋を横断したのが昭和37年で、わしが小学校5年生のときだった。わしはその頃から船乗りになりたいと思っていたので、ヨットでの横断がどんな航海だったのか詳しく知りたかった。そこで太平洋ひとりぼっちという本がでるとすぐに親に頼んで買ってもらった。そしてその本を読んでいくうちに堀江さんが持っていった一冊の本に興味を覚えたんだな。それは、アランボンボアール著「実験漂流記」という本で、食料も水も持たずにゴムボートで大西洋を横断して、途中魚を釣って食べ、それをしぼって生水を得るという方法で、何日生きられるかを自分で実験した記録だったな。

 わしの親父は1995年まで民生委員をしたり、その後も独居老人の見回りとか、福祉関係のボランティアをやり、周りからも頼りにされる存在だったんだが、2005年におふくろが死んでから、部屋にこもるようになり、鬱がひどくなっていった。この変化には、わしも女房もおどろいたな。晩飯のときもしかめっ面して黙って食べるし、しかもまずいと言い出すから、鬱は人格を変えるとわかってはいても、女房もがっくりするわけだよな。以前は焼酎を飲みながら、冗談を言ってわしらを笑わせていたんだから、その落差は大きかったな。とにかく楽しい話をしなくなった。すべてを否定的にみてしまうんだな。鬱というのをはじめて目の当たりにして、さすがにたじろいだね。

 わしは4月1日からほとんど外に出ていない、引きこもり状態で150日以上になる。この生活を11月3日まであと2ヶ月ほど続ける予定なんだが、じつはこれは最初に書いた実験漂流記の老人性鬱版とでもいおうか、親父がどんな状態だったのか確かめてみたいというのもあるんだな。もちろん女房も元気で、わしも親父が鬱になった歳にくらべたらまだ若いから、同じ状況とはいえないが、わしにもいろいろその傾向はでてきているようだ。

 ときどきふと気が付くんだが、雑巾がけをしている時などに独り言は多くなったな。掃除していてもいろんなことが頭の中に浮かび上がり、ほっておくと消えていくんだが、最近は楽しかった事や嬉しかった事よりも、腹が立ったことや、嫌なことなど、否定的なことが多くなってきたように感じる。これを言葉に出せばおやじと同じということだ。わしの場合それを客観的にみている自分がいるので、それに呑み込まれることはないが、鬱に関しては、自分は大丈夫といって、油断していると危ないとよくいわれるが、それはその通りで、誰にでもやってくるんだなということはなんとなく理解できたな。

 

 

 

 

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