無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10782日

 わしが死を意識したのはいつだったか、にわかには思い出せないが、あと10812日で書いたように、幼稚園児の頃ではないかと思われる。幼稚園に上がる前に近所の川に猫の子供を流した事を覚えているから、其の時はまだ意識してなかったはずだ。小学校4年生のとき、授業で「かあちゃんしぐのいやだ」という小学生の作文を読んだ時、わしの親も死んでしまうんじゃないかとものすごく不安になったことがあった。その当時「路傍の石」とか、「綴り方兄弟」とか、「次郎物語」とか親の無い子供がいじめられるストーリーの、文部省推薦の映画が立て続けにあって、親が死んだらどうなるのかとわしは真剣に悩んだということで死を意識していたが、この頃でもまだ自分が死ぬ事は考えてなかったような気がするな。

 それとソ連の大気圏内核実験で、大量の放射性物質が降り注いでいたというのも、なんとなく不安の原因ではあったな。わしらの年代の子供は、福島原発事故での被曝量なんか誤差のうちに入るような多量の放射性物質を浴びて来たわけで、結果的にはなんの影響も無かったんだが、当時は雨にあたると頭が禿げるとか、病気になるとかいわれて、単に曇っているだけでも、よく傘を持っていかされたな。

 ではわしが自分の死を意識したのは何時の頃なのかということだが、あと10790日で書いたように、天罰を受けて死にそうになったとき、周りでは危ないと言われていたようだが、まだ自分が死ぬとは思ってなかった。このことは、はっきり覚えているからこの時ではない。思い当たるのは女房の親父さんの葬式だな。だんだん弱って意識が戻らなくなり、2週間ほど寝た後亡くなったんだが、その後の葬儀、火葬場とすべてが初めての経験だった。人が死ぬとはこういう事かと改めて実感したな。わしは自分も必ず死ぬものだと意識したのはどうもこの時ではないかと考えている。その後、わしのおふくろ、親父と見送り、親父を見送ったあとは、これで次はわしの順番かと、何かほっとした気持ちになったのはそういうことではないだろうか。

 有り難い事に、3人の子供も独立したし、女房も仕事しているし、家の借金はないし、今わしが死んでも遺族年金がでるので生活に困る事はないだろう。野生なら速やかに死んでいく存在なんだろうが、人間はそうはいかんからな。わしなんかまだ10782日生きなくてはいかんのだが、子供よりは先に死にたいな。