無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10779日

 昨日、わしの幼稚園の昭和32年度卒園アルバムを、久し振りに見た。場所は同じでも、建物も周囲の環境も当時とは全く異なっているのは当然としても、うちの子供らの在園当時と比べても何か違うんだな。運動会、遠足等今と同じ行事なんだが、おかしいなと思って見ているうちに、先生の服装が違う事に気が付いた。どの写真でもきちんと正装しているんだな。わしもいろいろ当時を思い出してみたんだが、どのシーンでも体操服のようなくだけた服装をしていた姿は浮かんでこなかったな。わしが勝手に始業ベルを鳴らして叱られた時も、帰宅時に寄り道していたのを偶然先生見つかって、途中まで一緒に帰った時も、遠足で幼稚園の前で並んで一緒にバスを待っていた時も、運動会でスタートの笛を吹いていたときも、きちんとした服装をしていたな。

 わしの周囲でも母親が外で仕事をしているという奴は1人しかいなかったから、当時は仕事を持っている女性は非常に少なかったんだろうな。今から約20年前になるが、二男が入園した時、その当時の先生の1人とに40年ぶりに、話をすることができたんだが、わしが昔の話を良く覚えているんでびっくりしていたな。非常に奇麗な上品な方で、わしも幼稚園児ではあったが、あこがれていた先生だった。その人は神戸の大学をでてすぐにこの幼稚園に来たと言っていたから、22歳で、まだ当時は珍しい大卒の女性だったんだな。同僚のT先生も奇麗な方だったが、一緒にきたと話していたので、幼稚園教育に携わっていたのは大卒の女性だったと知って、其の時はちょっとびっくりしたな。

 ところで、先週から近所の中学校で運動会の練習をやっているんだが、でかい音量で、汚い言葉で怒鳴っている、教養のかけらも感じさせない教師にはあきれてしまうが、そういう教師が教育者の顔をして社会的地位を得ている現状を見るとき、単なる労働者教師と聖職者教師との落差を感じるのはわしだけではないだろうな。