無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10766日

 大東亜戦争では、ビルマや南方の島で餓死者がでたことはよく知られているが、兵隊と将校の差や将校でも陸士出かそうでないか、陸大出かそうでないかで全く扱いが違うということは戦後多くの本で書かれてきた。もちろん生きるか死ぬかという極限状態だから、階級差があるのは当然で、軍規を維持できなければ、軍隊は烏合の衆となって全滅してしまうだろう。わしは戦記関連の本は若いときからよく読んで、軍隊の理不尽さに関しては大抵のことには驚かないんだが、御田重宝著「東部ニューギニア戦 進攻編」p149には驚いたな。最前線突破を命じられて、補給の無い中、オーストラリア軍と死闘を繰り返していた高知144連隊第二大隊長が、部隊も部下も置いて陸軍大学校受験のため馬に乗って引き返して来たんだからな。この本は14〜5年前に古本屋で見つけた貴重な本なんだが、さすがにあきれたね。

 福山41連隊第2大隊長小岩井少佐の日記によると

「支隊司令部へ連絡の途次、乗馬した将校が一人、司令部の方からやってくるのに出会った。144連隊第2大隊長堀江少佐だった。第一線の指揮を執っているはずなのに、どうしたことかと聞くと、陸軍大学再審試験を受けるために東京へ帰るということだった。またそのころ、わが連隊でも第3大隊長小林少佐が内地へ転勤した。この苦しい作戦の最中、たとえ命令とはいえ、部隊を捨てて内地へ帰ってしまうというのは、第一線にも決してよい影響は与えないと考えた。米軍と日本軍と、典型的な差が、時期を同じくして現れたのは、勝敗を象徴するものであると言えよう。ブナを取らなかったら生きて帰るなと部下を叱咤する指揮官とバタバタ部下が死亡している最中に、陸大の試験で東京に帰ったり、内地に転勤したりする指揮官との差は既に質的な次元の差というより外にないであろう。」

 敵指揮官アイケルバーガー中将はマッカーサー大将に「ブナを取らなかったら生きて帰るな」と命令されていたと言われている。ブナとは東部ニューギニア北岸の小さな集落で、マッカーサーは、いつこの戦争に勝てると思ったかと聞かれて、ブナを取ったときだと答えている。ここの戦いはそれほど重要な戦いだったんだな。陸軍にはそれがわからなかったし、わかろうと努力もせずに、見切り発車で始めたこのポートモレスビー作戦だから、初めから勝てる道理はなかったんだろうな。これからあと3年間、ニューギ二アで多くが飢えや病気で何万という兵士が死んで行くという運命は、既に昭和17年8月には決められていたんだな。

 わしの伯父もニューギニアで戦死しているんだが、ニューギニア戦の戦記ものはいたって少ない。それほど過酷だったんだろう。伯父は病気のためパラオからの最後の内地便の飛行機に乗る事が決まっていたのに、部下と交代して自分は残ったらしい。自分だけ帰ることはできなかったんだろうな。陸大受験で部下をほったらかして東京に帰った指揮官のいるような軍隊で、そこまで律儀にやらなくても、帰ってくればよかったのにな。

 

 

広告を非表示にする