無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10759日

 前橋であった小児神経学会に参加していた長男が、急遽8時45分着のANA最終便で帰ってきたので、空港迄迎えに行ってきた。予定では今晩は川崎でウィーンフィルの演奏を聴いて、横浜で1泊して明日10月10日に帰ってくることになっていたんだが、8日(土)の予定だった子供の幼稚園の運動会が、雨のため10日(月)に順延になったので、それを見るために全部キャンセルして帰ってきたということらしい。結局ウィーンフィルチケット25000円プラスホテル代が無駄になり、子供のためなら仕方が無いといいつつも、ウィーンフィルには未練たらたらだったな。

 たしか昭和48年の10月か11月初めの頃だったと思うんだが、カラヤン指揮のベルリンフィルが日本に来て、大阪の厚生年金会館で演奏をしたことがあったはずだ。わしは長男と違ってオーケストラには何の興味も無いんだが、そのことだけははっきり覚えている。それはわしが広島海運局で甲種二等機関士口述試験を受けた後、従兄弟の結婚式があった長野に行くために、大急ぎで広島駅から岡山行きの特急に飛び乗ったことから始まった。

 当時は山陽新幹線は岡山までしか来てなかったので、岡山乗り換えだった。特急は満員で、しかたなくわしはデッキに立っていたが、2時間近くかかるのでどっかで座りたいと思っていた。デッキにはもう1人広島から乗ってきた若者がいたんで、なんか一言二言話したような気がする。そのうちに車掌さんがきたので、ダメもとで、この車両で次の停車駅で降りる人が居ないか聞いてみたら、並びの席で2人降りるという事を教えてくれた。わしはそのことをその若者にも教えてあげたところ、それなら2人でその席をいただきますかということになり、立っている人をかき分けて、該当する席が空いたら座れるように、すぐ横に立って席が空くのを待った。こうして岡山までの席は確保して、2人で座っていろいろ話をしながら岡山に着いた。

 新幹線は岡山始発だから必ず座れるので、わしは指定券を持ってなかった。そのことを話すと、その若者は指定券を持っていたにも関わらず自分も自由席で行くというので、新幹線でも隣同士で座った。発車まで時間もあり、腹も減ったのでわしは駅で弁当を買ったんだが、その人は母が作ってくれた弁当があるというので、発車前に2人で腹ごしらえをした。それから京都まで一緒だった。

 思い出話も長くなったが、この若者は京都大学の4年生で、来年から通産省にいくことがきまっているという優秀な人だった。広島から京都まで3時間程何を話したのか詳細には思い出さないんだが、当時はわしも今と違って、内なる自分という存在にも気が付かず、結構楽天的で、妙な自信があり、誰とでも気軽に話をしていたような気がする。おそらくさっき受験して来た海技試験の事やら、船の話をいろいろしたんだろう。一方彼が話したのが、ベルリンフィルのことだった。当時わしはカラヤンが何かも、ベルリンフィルが何かも全く知らなかったんだが、いかにすごいかということを語って、これから1度京都の下宿に帰り、それから大阪の厚生年金会館に聴きに行くんだという事をうれしそうに話していた。わしには何がいいのかさっぱりわからなかったんだが、40年後の今になってみれば、カラヤン指揮ベルリンフィルの生演奏は、オーケストラ好きにとってはかけがえの無いものだったということはよく理解できる。今ではその若者の名前も忘れたが、65〜66歳でどっかに天下りしているのかもしれんな。

 息子のウィーンフィルキャンセルから、ベルリンフィルを熱く語った若者を思い出した昔話をしてしまった。