無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10748日

 1週間程前に、女房が近所の奥さんに、おたくのご主人は祝日に国旗を揚げて偉いですねと言われたらしい。わしからしたら、偉いも何も、祝日を国民が祝うのは当然でしょうということなんだが、今でも揚げているのが特別なように見られているんだな。わしの両親が、国旗を揚げなくなったのがいつの頃なのか、はっきりとは覚えていないんだが、昭和40年代には揚げていたから、50年代以降だろうな。昭和50年、戦後30年といえば大正生まれの人が定年で社会の一線から退く頃だろうが、その頃から、たがが緩んで来だしたのかもしれんな。

 わしが国旗を掲揚しだしたのは、平成18年4月29日の昭和の日からなので、まだ10年しかたっていない。その頃は、うち以外では近所のスーパーに揚がっていただけだったんで、2本の日の丸だったんだが、5年程前に元管区海上保安本部長だったという人が帰って来て掲揚しだしたので、いまのところ祝日には3本の日の丸が翻っている。ではなぜみんなが掲揚しなくなってしまったのかということなんだが、戦後のGHQの洗脳工作が花開いてきたんだろうな。大東亜戦争を太平洋戦争と呼ばせたり、NHK真相箱、出版物だけでなく私信の検閲やいわゆる焚書坑儒、全能の神のごとくやりたい放題やったわけだ。しかも自分たちは裏から指図して、やらせたのは日本人ということになっているから、一般の日本人はアメリカ人に洗脳されたなんていうことは全く意識してないうちに、私たち日本人は馬鹿な事をしてしまいました。アジアの国を侵略しました申し訳ございませんなんぞと懺悔してしまったんだろうな。日の丸を拒否するなどというのもこの延長だろうな。

 江藤淳著「閉ざされた言語空間」に詳しく書かれてあるが、言語に絶するような検閲による、閉ざされた言語空間に風穴が空き始めたのは、なんといってもインターネットの普及だろうな。トランプとクリントンの大統領選挙をみてもわかるが、何も隠し事ができないどころか、人間そのものがさらけ出され、有権者に値踏みされるのを見ていると、この先議会制民主主義そのものが有効に機能するのかどうかも疑わしくなる。それくらいインターネットの出現は影響が大きいし、それどころか人類の歴史を変えるんじゃないかな。

もちろん、閉ざされた言語空間なんぞは木っ端みじんに吹き飛ばしてくれるだろう。