無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10742日

 岡山にいる二男のとこにもうすぐ子供ができるので、これで5人目の孫だな。予定日は11月2日で、予定通りなら、わしが11月3日生まれなので、わしと1日違い、わしの兄貴が11月1日生まれなので、兄貴とも1日違いという覚えやすい誕生日になる。うちは長男二男ともに24歳で、学生時代につきあっていた子と結婚したので、親としては楽といえば楽なんだが、あの楽しい独身生活を経験してないということに後悔はないんかな、なんぞと思ったりもしたな。女房は知らんが、わしはそんなに急がんでもと、複雑な気持ちも少しはあったんだが、本人がそうしたいというんだからそうするのが一番良いんだろうな。わしなんか24歳で結婚なんてことは考えもしなかったが、2人とも夫婦円満でうまくやっているようだから、我が子ながらたいしたもんだと尊敬しているよ。

 産まれたら岡山まではバスで行く事にしている。初めは車で行く予定でいたんだが、最近体力の低下や集中力の低下も感じることが多いので、無理をせずに、のんびりとバスで行く方がいいような気がするんだな。もともと車の運転は好きな方じゃなかったんで、車に乗り始めたのが長女が産まれてからだから33歳からだった。これも近所に誰もいないような田舎に家を建てた結果、タクシーもないので、夜中に娘が熱をだしても病院にも連れて行けない状況になり、仕方なく乗り始めたんだが、乗り始めると便利なもんで、なかなかやめる事ができずに今まできたが、今の車が6年目だから、あと4年でやめることになるかもしれんな。

 わしも60歳で定年になったときは、犬の花子を連れて車で旅にでようかと考えて、いろいろ準備をしたんだが、その当時はまだわしも気力も体力もあったんだな。車中泊の道具などもいろいろ買いそろえて、準備万端整ったんだが、やはり行く前に一度試してみたほうがいいではないかと、はたと気が付いたんだな。そこで、その晩駐車場の車の中にマットを敷いて、本番さながら花子を連れて来て寝ようとしたんだが、やはり犬だな、狭い車内を匂いながら歩き回って一向に寝る気配がないし、車庫の前を車や人が通るたびにわんわん吠えるんでうるさくてかなわん。しかも、小便をしそうな雰囲気になってきたので、あわてて外にだしたりしているうちに、2時間くらいでこりゃ無理だと悟ったな。結局車中泊の道具だけが残ったわけだが、すでに行く気力も無いし、買う前に最初に花子を試してみるべきだったと後悔している。