読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10734日

 二男の嫁は昨日が出産予定日だったんだが、今日1日たってもまだその気配はないらしい。初産だからおくれることもあるし、これだけは黙って待つしか無いな。今日11月3日はわしの誕生日であるとともに明治天皇の誕生日でもあるんだが、戦後GHQによって明治節から文化の日などというわけのわからん日にされてしまった。朝から国旗日の丸を掲揚し祝日を祝ったんだが、わしの家から見える範囲で、日の丸を掲げた家は一軒も見当たらなかったな。昔はわしの誕生日にはどの家でも日の丸が翻っていたもんだが、日教組による戦後教育の過程で、日の丸を否定的に捉えさせる事に成功したんだろうな。しかしネット社会になって、若い連中が歴史の真実に目覚め始めたから、早晩この呪縛も溶けて、またわしの誕生日に、町中に日の丸がはためく日がやってくるだろう。

 10月31日で一応一区切りついたというだけで、11月1日以降もやっている事はなにも変らない。起床、掃除、太陽参拝、祝詞奏上、論語音読、昼飯、散歩(7000歩から5000歩に減らした)古事記神代巻音読、ネット、毎日繰り返しているんだが、来週中に1回は動物園に行ってみる予定だ。だいたい週2回を考えているので、少しずつ生活も変わってくるだろうな。

 今日は誕生日なので晩飯には女房が寿司をつけてくれた。これはたいへん旨かったんだが、このように食べ物がうまいという話をすると、いつも思い出すのがあの円谷幸吉氏の、美味しゆうございましたと書き連ねられた遺書なんだな。わしなんかもとっくの昔に円谷氏の歳をこしてしまっているんだが、あと10814日に書いたように、あの事件は本当にショックだったし、忘れる事はできない。わしは事件後テレビであの遺書を知ったんだが、見ていて涙がでてきたな。マラソンで銅メダルを取ったんだから、もう走らなくてもいいじゃないかとわしらは思うんだが、走る事にそれ以上の価値があったんだろうな。

 

 

 

広告を非表示にする