無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10731日

 今日娘夫婦が、子供の七五三のお宮参りの帰りに、うちに寄っていった。3歳の長女が着物を着てかわいかったんだが、その着物は長男の嫁が幼稚園のバザーで見つけたものだった。バザーにこんなんがでてますがとwhatsappで写真を送ってきたもので、園長先生がだしていたものらしく、全部揃って奇麗で安かったのですぐに購入してもらった。写真や文が一瞬にして届くんだから、ほんとうに便利な世の中になったもんだな。

 わしが中学1年の時に買ってもらった今井 武 著「ヘイカチの航海記」という本が、今でもわしの本棚に並んでいるが、当時はネットなんてないから、このヘイカチという言葉の意味がわからなくて、出版社の成山堂に手紙を出して聞いた事があったな。成山堂からは丁寧な返事が返ってきたのを覚えている。のんびりした良い時代だったな。この本は、著者がヘイカチ、いわゆる下級船員として、世界中を回ったときの各地での体験をまとめたものだった。ヘイカチという厳しい職場環境のなかで、一度日本を出たら、音信不通に近いような不自由な生活をしていたんだろうが、一般人がおいそれとは行けなかった外国の話に、わしは夢中になって読んだものだった。

 しかし、ネットで調べれば世界中のことが一瞬にしてわかるし、年間数百万人が海外旅行に出かけ、ストリートビューに至っては、居ながらにして世界中を歩き回れるんだから、今ではわしも、海外体験本なんかは読もうとも思わないな。今の時代に、外国へ行きたいからといって、仕事として外国航路の船乗り憧れるものはほとんどいないと思うが、戦後の20年代から30年代にかけての閉鎖された日本社会の中で、ドルを持って海外に行けるというのは選ばれた職業だったんだな。そういう面では古き良き時代だったのかもしれないな。これからはこのヘイカチの航海記のような本は、単なる体験本としてではなく、社会学的な意味で価値がでてくるのかもしれんな。